2006年12月9日放送 

北沢康吉さん

子どもの変化に気づくことから

シリーズアトムの子ども「いじめを考える」@

今年もあとわずか。記憶に残るニュースとして多くの人があげるのが「いじめ自殺」という言葉ではないだろうか。なぜ、どうしたら―と誰もが解決の糸口を探りながら、なかなかそこにたどりつけない問題だろう。
いなまいニューススタジオは、これまで放送してきた6年間の中で、シリーズ「アトムの子ども」として、さまざまな教育現場の声を聞いてきた。自然に学ぶ大切さ、自立する力を養うことの大切さ、どんな子どもも持っている可能性―。未来ある子どもたちの豊かな未来のために、今、私たちができること、感じなければならないこととは―。
番組では、2回にわたり、このいじめを取り巻く問題について取り上げる。
ゲストは、約20年にわたり、登校拒否の子どもたちとその家族にかかわってきた北沢康吉さん。次週は、モンゴルの大草原で子どもたちの心の育ちに触れているパカパカ塾の春日幸雄さんを交えて、さらに聞く。

北沢康吉さん
教員生活の後、約20年前に駒ヶ根市内に「のぞみ学園」を設立。全国から登校拒否の子どもたちを受け入れ、相談を受けてきた。「素敵だよ、登校拒否」「だいじょうぶだよ、登校拒否」などの著書でも知られる。現在も、全国各地で講演やカウンセリングなどに積極的に取り組む。

誰もが不安や恐怖を抱えている
武田 いじめを受けた場合、子どもの心にはどんな変化が―。
北沢 私なりの考え方ですが、もともと人間には、心の深い部分にわけのわからない強烈な不安、恐怖、怒り、攻撃的感情、破壊的衝動、残酷さなどを持っていると思っています。それが、外側からのストレスによって、心の中の何かが、いっぱいになってしまう―ということが起こると思います。それは、誰にでも起こり得ることだと。いじめにあった場合には、ほとんど一晩で、短時間で、わけのわからない恐怖や不安であふれかえるほど強烈なものでいっぱいになってしまうわけです。例えば、いじめた側は、最初は少し無視したぐらいであっても、いじめられたほうは、一晩で学校へ行けなくなるとか、教室の敷居がまたげない…ということになってしまいます。「それくらいのことでどうして」と思う人もいるかもしれませんが、心の中に、もともとそうした不安や恐怖があると思えば、いじめが一つのきっかけになった―と考えられますね。わけもわからずに、とにかく怖くなっているわけですから―。
武田 そうした中で今は、いじめ自殺の問題がクローズアップされています。
北沢 そうですね。その中で「がんばって越えられそうだ」「一緒に戦おう」というような言葉を聞くことがあります。でも、わけのわからない恐怖や不安で引きこもってしまうんです。そして、体にいろんな症状が出てくる。がんばって、努力で越えようということは、ほとんどの場合あてはまりません。私自身は、むしろそれは危険だと思っています。
武田 誰にでも、恐怖心や不安があるといいますが、それは人間にとって、もともと大切なものだった―。
北沢 人類の歴史を考えると、例えば恐竜時代に生きた我々の祖先は恐怖におびえ、不安におびえ、足音におびえ、吠える声におびえて暮らしていたと思います。
武田 その中でなければ、生きてこられなかった。
北沢 そうですね。たえず逃げ回っていた。そういう部分が、今日でも大切な資質として残っているんだと思いますね。ですから、それは一つの資質であると同じに、一つの傷でもあるわけです。それが、こういう世の中になってきて、もっと違った資質のほうが評価されるようになってしまいました…。今は、落ち着きや集中、ということがよく言われますが―。
武田 そういう中で現代、いじめを受けやすい傾向というのはありますか。
北沢 いじめる側は攻撃的感情や破壊的衝動の側でストレスの結果、いっぱいになっている。ですから、登校拒否になるのか、いじめる側になるのか―ということは、パーソナリティの差であると思います。そういう中で、攻撃的感情や破壊的衝動でストレス状態になってしまうような状況が、今の学校の中にはたくさんあるんですね。それでいっぱいになった時、どこかへそれを火山のように噴火して出さなければならないようになります。そうなった時、どこかへ吐き出さなければ―と、吐き出しやすい場所に出るんですね。その時、いじめの対象として、どこか弱いところがある子に出るというのではなくて、何か突出しているとか、特徴を持った子、がんばり屋、正義感のある子―というようなところに出てしまう。基本的には、誰でもいい、出さなければいられない、という状況なんです。
武田 そして、不安を大きく抱えてしまう側にストレスが起こると、登校拒否になってしまう―。
北沢 そういうことですね。ストレスによって、すべて起こることだと思っていますが、いじめによるストレスはとても強烈で、ほとんど一晩で非常に安定を欠いた状態になってしまいます。ですから、いつもとちょっと違う―という変化を、親が気づくことが大事なんです。

大切な人には言えない
武田 いじめにあっているかどうか、子どもたちは、なかなか大人には言えないようです。
北沢 お母さんや家族、担任の先生といった、とりわけ大事な人たちには特に言えませんね。いじめにあうとプライドというか、自己肯定感がずたずたになってしまいます。その状態で、いろいろが崩れる寸前でなんとか頑張っている。そこで、大事な人たちに伝えてしまったら、最後のプライドまで崩壊してしまう―と感じるんですね。ですから、大事な人には言えないんです。以前に、いじめにあって高額のお金を渡していたという例がありましたが、その事例が発覚したのも、入院した病室で同室だった人に、たまたま話したことがきっかけでした。その子にとっては、一番安全な第三者だったのでしょう。
武田 親や先生には話せない―。気づいてあげなければならない。でも、親も先生も、ある程度ゆとりがないと、なかなか気づけない―。
北沢 そうですね。それと、学校は行くものだとか、頑張るものだという常識にとらわれすぎている―ということもありますね。今まで何でもなかった子が、どうして起きられなくなったのだろうとか、時々涙ぐんでいるとか、急に便秘や下痢になったり、ストレスの結果あらわれる症状は、いろんなものがあります。そういったものは、普段の生活の中で、いつもと少し違う―というところに出るわけです。例えば、いじめにあっていた女の子が、家を出て、学校の手前の線路のところで、一歩も動けなくなったんですね。様子がおかしいと感じていたお母さんが、そっと見ていたそうです。そこで、お母さんが「いいから戻っておいで」と声をかけた。すると、女の子は戻ってきました。これが、親のぎりぎりの素敵な反応だと思いますね。その変化を気づいてやれるかどうか―だと。いじめの中に入っていくということは、目に見えない放射能を浴び続けるようなものですから、頑張った子たちの中で、30歳、40歳を過ぎても苦しんでいるケースもあります。
武田 頑張りすぎた―ということ。
北沢 そうですね。外側から見ればわかりませんが、目に見えない放射能を浴び続けているわけですから、何とか学校を卒業できたとしても、傷の部分はそのまま残っています。いかにそこで、いつもと違うことに気づいてやることが大事なんです。そして、無理しなくていい―と伝えることです。
武田 そこで声をかけて、学校へ行かなくなった場合。その先の対応としては―。
北沢 命と学校とどちらが大事か、ということですね。断然命が大事なんです。いじめによって登校拒否になるケースが多いわけですが、安全な空間というのは、すべて家庭です。親、家庭が理解をしながら、安心して家に居られる状態を作れば、心配はないんです。
武田 とにかく、気づいてやることからですね。
北沢 私たちの社会生活の中では、常識というのは大切なことです。でも、心については、常識が当てはまらないことが多い。常識から見れば逆に見えるかもしれないこともあります。私は、心の深いところから起こることは、すべてマルだと思っています。常識から見ればバツに見えることも、すべて、はなまるだということを、登校拒否の子どもたちから教わってきました。
武田 よく言われることですが、昔からいじめはあったけれど、今ほど大きな問題にならなかったということがあります。社会そのものが変化してきたということでしょうか。
北沢 昔もいじめはありましたね。ですが、昔と今と比べると、子どもにかかるストレスの状況が全く違います。昔は、何かがゆったり動いていました。今は、いろんな面で窮屈になってきています。社会全体にストレスがかかり、競争原理が持ち込まれ、いろんなゆとりがなくなってきているところで起きているいじめですから、いじめの質が変わっていると思いますね。今の子どもたちは、大人が想像つかないぐらいのストレスの中にいる―ということです。

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