2006年11月25日放送 

春日愚良子さん

漂泊の俳人 井上井月が歩いた道

シリーズ土地の記憶

11月も末、いよいよ冬の季節到来である。30年余にわたり、この上伊那で漂泊の暮らしをし続けた俳人井上井月にとって、冬は厳しい季節だったろう。
井月は、明治19(1886)年12月病に倒れ、その翌年の3月に亡くなった。養子として迎え入れた伊那市美篶末広太田窪の塩原家の墓に今も眠っている。井月の句にたびたび登場する駒ケ岳を仰ぎ見るその墓には、後年、種田山頭火が墓参に訪れたことも知られている。
今週のいなまいニューススタジオは、シリーズ道―土地の記憶。漂泊の俳人井上井月の歩いた道をたどる3回目。井月研究の第一人者・春日愚良子(本名・公夫)さんとともに、伊那市富県から美篶に点在するゆかりの地を訪ねる。

落ち栗と人のあたたかさと
武田 火山峠の伊那市側、現在の富県には、有名な茶屋があったそうですね。
春日 名物おばあさんがいる茶屋があって、井月もよく通っていたようです。旅人に「酒食らえ」とよく言って、酒を出していたと。でも、井月はお金をあまり持っていませんから、つけで飲んでいたようですね。そのおばあさんは字が読めなかったので、井月が控え帳に、お金の絵を書いていたという話です。句を作って、その控え帳に書いて、証文の代わりにした―という話もあったようですね。
武田 富県貝沼あたりには棚田が残っていて、いい風情があります。
春日 例えば富県の福地は、福地の郷とも呼ばれて、水に恵まれた豊かな土地柄です。米どころとして豊かなところですね。棚田には昔、6月ころになると里山から木の枝を切ってきて肥料に使っていました(刈り敷き)。水にも恵まれているし、肥料にできる里山も近くにありますから―。そういう山のことを、昔は「刈り敷き山」と呼んでいて、その言葉は俳句の季語にもありました。
武田 そうした里山が機能しなくなって、棚田も少なくなってくると、俳句の季語も変わってきますね。
春日 そうです。そうやって意味がなくなってしまった季語もたくさんあります。
武田 刈り敷き山や棚田があったころ、井月が生きていたころには当然、化石燃料を使わないわけですから、また違う風景があったでしょう。
春日 循環型の暮らしがありましたね―。春には棚田の土手で蕗を採り、いろんな恵みを利用した時代だったでしょう。田んぼで収穫するだけでなく、土手や山も利用して、遊びの場でもあった。楽しみの場だったと思います。
武田 そうやって収穫しながら、遠く山を眺めて、いい景色を楽しんでいたでしょう。考えてみると、昔の人は、そうした風景に囲まれていることが当たり前で、改めて素晴らしさを感じることがない―という点では、とても贅沢だったと言えるかもしれません。現代に生きる私たちは、こうした風景を目にして、エネルギーをもらえる気がします。
春日 そういうものがだんだん失われてしまいましたね。井月の墓がある美篶の太田窪は、名前のとおり少し窪んでいて、栗もありました。そこで明治18年に辞世の句と言われる『落栗の座を定めるや窪溜り』を詠みました。井月は、上伊那の俳友180人余の句を集めて「余波の水茎」という句集を作りました。その最後にこの句があります。ここが終焉の地、ここで朽ち果ててもいい、という心情があらわれていますね。そこには、井月の短歌『いまは世に拾う人なき落栗の朽ち果てよとや雨の降るらん』も収められています。
武田 地元の人が井月を受け入れるあたたかい気持ちがなければ、井月も30年以上、この地にいなかったでしょう。この風景とともに、その人情をしみじみと感じます。これからも、井月がいたころのような雰囲気を保っていきたいと思いますね。
春日 私自身、そういった人情のある、あたたかみのある里の人を、一人でも多く作って、井月のような人がこの平成の時代でも生きていけるような世に、人に、していきたいと思いますね。

伊那市富県金鳳寺近くの紅葉の下で。この近くに、井月が好んで通った茶屋があった


井月と同じ新潟県長岡出身と言われる六波羅霞松(かしょう)は、井月と親交が深かった。現在の伊那市高遠町押出に、六波羅家がある。
「井月と同じように霞松の来歴もほとんど知る人がありません。二人だけの時には、きっと故郷の話もしていたでしょう。井月が亡くなる時、霞松は駆けつけて、最後の酒を飲ませたという話が伝えられています」(春日さん)。
その時、霞松が見守る中、書き残した句『何処やらに鶴の聲聞く霞かな』が井月の絶筆として知られる。六波羅家では、自宅前にこの句を刻んだ句碑を建立している。その後、霞松は昭和9年に亡くなるまで、上伊那の俳壇をリードしたという。写真右は六波羅霞松のひ孫にあたる六波羅松市さん

六道の堤(伊那市美篶)。この堤の西に広がる六道原の開拓のため、堤が造られた。その開拓の中心となったのが、井月が養子になり、井月の墓を守る塩原家。現在、この堤のほとりに、井月の絶筆『何処やらに鶴の聲聞く霞かな』をそのまま刻んだ句碑がある。西に中央アルプス、東に仙丈ケ岳を望む絶景の地に立つこともあり、この絶筆の句碑は今でも訪れる人が多い。
「臨終の時にこの句を書くということは、この句は、井月が非常に気に入っている句ですね。霞の中で、クォーと鶴が一声鳴いた、という句です。鶴も孤独を感じさせる独特な鳥ですが、一人で死を迎える井月も、孤独が身にしみた―という心情の句ですね。井月には風景や生活の状態を詠んだ句が非常に多いですね」(春日さん)


伊那市美篶太田窪にある井月の墓。辞世の句と言われる『落栗の座を定めるや窪溜り』は、この太田窪で詠んだとされる



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