2006年11月11日放送 

春日愚良子さん 竹村編集局長

漂泊の俳人 井上井月が歩いた道@

伊那谷の風景に包まれて(駒ヶ根市中沢)

漂泊の俳人として知られる井上井月。故郷越後を離れ、明治20(1887)年、66歳で亡くなるまでの30年余を伊那谷で暮らした。暮らしたと言っても、決まった家があるわけでなく、家々を転々としながら、酒を飲み、書を書き、俳句を楽しむ毎日。身なりは薄汚れていても、金を持たなくても、伊那谷の人々は井月を受け入れ、酒を酌み交わした。
その後、井月の俳句は駒ヶ根市中沢出身の下島空谷(本名・勲)によって世に出され、芥川龍之介や室生犀星などの関心を集めることになる。その奔放な暮らしぶり、俳句そのものに深い感銘を受けたという種田山頭火も、昭和15(1940)年、井月の墓参のために伊那谷を訪れている。
井月は、なぜ30年余の間、定まった家も持たず、伊那谷を歩き続けたのだろう。一方、当時の人々は、どうして井月を受け入れ続けたのだろう。当時、松尾芭蕉やその門流の俳風である蕉風の形式が流行し、この伊那谷でもたしなむ男性が多かったという。そこにぶらりと訪れた井月の俳句や達筆な書は、注目を集めたことだろう。しかし、30年余という年月は、この伊那谷と井月にそれ以上の深いかかわりを感じさせる。
いなまいニューススタジオは、今週から3回連続でシリーズ道―土地の記憶。井月が好んで歩いた道をたどりながら、その足跡と俳句、風景を重ね、井月の足も止めたであろう伊那谷のたたずまいを歩く。
ゲストは、井月研究の第一人者として知られる春日愚良子(本名・公夫)さん。1回目は、駒ヶ根市中沢、2回目は駒ヶ根市東伊那、3回目は伊那市富県と美篶。いずれも、井月が好んで歩き、また、温かく迎え入れた家が多い場所だ。
1回目は、駒ヶ根市中沢に生まれ育った伊那毎日新聞の竹村浩一編集局長も加わり、秋の中沢を歩いた。(写真・駒ヶ根市中沢の高台から駒ケ岳を望む)

井月が好んだあたたかさ
武田 井月さんは、この中沢を好んで訪れたようですね。
春日 井月が訪れたのは安政5年と言われています。主に、天竜川の東側にある中沢や東伊那、美篶、富県などの俳友たちを訪ねて、約30年間、伊那谷にいました。
竹村 この中沢は、山を背負い、天竜川が流れ、文化的な風土もある。いいところだと思いますね。井月が好んだのもわかるような場所です。
春日 改めて来てみると、井月は、いいところを歩いていることがわかりますね。
竹村 駒ヶ根市の竜東地区には、中沢と東伊那があります。東伊那地区は、天竜川の段丘に沿って南北に長く伸びている地域。中沢は、東の奥山の方に向かって、清流に沿った谷が伸びている地域です。いずれもいいところです。
武田 眼前に中央アルプスがあって、気持ちがいい場所です。
竹村 山に抱かれている、という雰囲気があります。他の地域からは、「中沢は危機意識が薄い」と言われることもあります。おそらく、山に囲まれていて、安心感に包まれているからだと思っていますが―。
武田 そんな雰囲気が、井月を気楽に訪れさせる理由になっていたかもしれませんね。「駒ヶ根市」という知名も、井月の句に由来しているという説があるそうですが。
春日 『駒ヶ根に日和定めて稲の花』という句があります。稲の穂が出たころ、8月のはじめころでしょうか、駒(中央アルプス)の根にいい日が当たっている姿を見て、今年も豊作だろうか、という気持ちをこめたものでしょう。そのころの稲の花は、花鈴をかける、とも言って、非常に美しい稲の穂が揺れる季節です。この井月の句に出てくる〈駒ヶ根〉から地名になったとも言われていますね。
武田 井月さんには天竜川の句も多いですね。
春日 そうですね。特に中沢地区にはきれいな支流、清流がありますから、そうした情景を詠んだ作品も多いです。当時は海からたくさん天竜川に鮎があがってきましたから。『若鮎の瀬に尻まくる子供かな』『楽しさは浅瀬に深し蜆とり』などの句があります。
武田 当時、天竜川で遊んでいた子どもたちの雰囲気が伝わってきます。
竹村 改めて井月が歩いた道をたどってみて、中沢の素晴らしさを実感しましたね。いつもは車で通ってしまいますが、井月を通して感じてみると、また違って見えます。
武田 井月さんも、人情味あふれたところだったこそ、好んで訪れたということでしょう。
春日 ここの風景や人々に、とても温かみを感じた、ということだと思いますね。

駒ヶ根市中沢と中川村四徳を結ぶ折草峠への道を歩く。草を折って旅の安全を祈ったことから、「折草峠」と名づけられたと言われる。この約2里(8`)の峠道を、井月は歩いて越え、四徳に出かけた。温泉があったことや、俳句を好む人が多かったことなどから、好んで出かけたと言われている。現在、峠には井月の自筆による「濃く薄く酔て戻るやもみぢ狩」という句が彫られた句碑がある。
「もみじの濃く薄く、という色ももちろんですが、酒に酔って非常に気分がいい、という気持ちも表わしている句だと思います。井月は句だけでなく、書も素晴らしく、芥川龍之介が、井月が書いた『幻住庵記』(松尾芭蕉)の筆跡について、神の域に入った―と誉めたことが知られています」(春日)


天竜川にかかる駒見橋近くで。駒見橋近くには『舟を呼ぶこえは流れて揚雲雀』の句碑が、下流の小鍛冶橋には『鮎若し橋も小舟もある流れ』の句碑が立つ
(左から武田キャスター、春日さん、竹村編集局長)

駒ヶ根市中沢原地籍。井月を世に出したとされる下島空谷(本名・勲)の墓で(左から武田キャスター、下島大輔さん)。下島大輔さんは、下島空谷の甥にあたり、中沢地区に残る井月の足跡を語り継いでいる。
「空谷が東京の田畑で医者をしていたころ、近くに住んでいた芥川龍之介や室生犀星などと交流があり、毎晩のように当時の文壇の皆さんと酒を酌み交わしていたようです。そんな時、空谷が小さいころに故郷で会った井月のことを話したんですね。身なりは悪かったけれど、書や俳句がものすごく上手だった―と。そこで、芥川龍之介が興味を持って、井月の句集をぜひ出したらどうか、と提案したそうです。その後、いろんな人にお願いして井月の俳句を集めて、大正10(1921)年に『井月の句集』を出版しました。それから、改めて高津才次郎さんと『漂泊俳人井月全集』を出版、今でもその全集は皆さんが大変参考にしているものになっています。芥川龍之介さんの短編小説『庭』には、井月が登場しています」(下島さん)


井月の句碑『駒ヶ根に日和定めて稲の花』がある蔵沢寺。この句に登場する〈駒ヶ根〉が、現在の地名のもとになったとも言われている



製作:伊那毎日新聞社 All Rights Reserved (C) 2005  制作協力:Fieldwork