2006年11月4日放送 

伊藤精晤さん

愛着を感じる森

伊那谷の秋を歩くA

「風景」「景観」―といっても、個人の体験や暮らしによって、さまざまなとらえ方があるだろう。しかし、美しい緑や紅葉、澄んだ秋の空は、多くの人の心を動かし、やはり「美しい」と感じる。
今週のいなまいニューススタジオは、信州大学農学部教授で、風景や景観について詳しい伊藤精晤さん(専門は林学・造園学)をゲストに迎える2回目。前回の対談では、「風景」と「景観」の違いについて、「風景は、目で見て見えている対象と見ている対象とが一体になった状態。景観は、見えている対象となっているもの」―という話があった。私たちの暮らし、思い、そうしたすべての要素が風景の一部として取り込まれているのだという。「美しい」と感じることができる風景の中には、たくさんの心豊かな体験がつながっているのだ。
今回は、大芝高原を歩きながら、庭園、公園の特徴、さらに「風景」について聞く。

景色を庭に実現する「縮景」
武田 日本に公園と呼ばれるものができたのは、いつごろからですか。
伊藤 江戸時代からあった名所旧跡を明治6(1873)年、「公園とする」と決められました。洋風の公園という形は、明治30年代に作られた日比谷公園が最初です。米国のニューヨークでセントラルパークが作られたのが造園のきっかけですが、セントラルパークを作る際に公園づくりのモデルとなったのが、英国の「風景式庭園」と呼ばれるものでした。
武田 ということは公園が最初に誕生したのは英国から…。
伊藤 そうですね。近代的な市民社会が生まれてくると、王侯貴族の個人の庭園だったものが開放されて公園に変わっていく―という経過がありますね。庭園、いわゆるガーデンに対してパークと言われるものがありますが、パークの起源も貴族の所有地で、狩猟のための場所を指していました。
武田 公園の形式については。
伊藤 幾何学的な直線や円などで構成された整形式庭園と呼ばれる庭園がフランスで作り出され、英国にも入っていきました。英国では地形が丘陵だったことなどから、フランスの整形式庭園と違ったものを模索して、ついに見つかったのが風景の絵画を庭園の中に現実化する―というものだったんですね。
武田 日本も、ある景色を自分の庭に作ろうとする庭園の様式があります。それと似ていますね。
伊藤 そうですね。風景というものを主題に取り入れている点では共通しています。庭園の形態の違いで言えば、日本庭園では、景色を庭に実現する方法として「縮景」という手段を考えました。その方法によって、全国の著名な名勝の景色などを平安時代から庭の中に取り入れることができたんですね。
武田 そういう例は外国には少ないですか―。
伊藤 「縮景」という形態は、日本独特のものです。
武田 日本庭園というのは、どんな方向から見ても絵になる、という感覚を持っています。例えばフランス式の幾何学的な庭園だと見る位置がずれると変わってしまう、という感覚がありますが―。
伊藤 「縮景」というのは、どちらかというと遠景の景色ですね。例えば天の橋立というと、上から俯瞰したような眺めを庭の中に生み出している、ということで―。
武田 西洋では、今の公園のように誰でも入ってもいい、パブリックな場所というスタイルはありましたか。
伊藤 ありませんでしたね。西洋では、広場という形態がありましたから。広場は、都市社会の共同的な空間だったわけですね。
武田 そういう意味では、日本では花見という習慣もあります。それも共同的な空間ですよね。自然の中に庭的な感覚を作り出した―というような。
伊藤 日本では、広場、という感覚はあまり考えられませんね。ヨーロッパの広場は、市民の社会生活上のものとして作り出されたものでした。そういう市民社会がなければ、広場そのものは存在しませんでしたね。
武田 米国のセントラルパークは―。
伊藤 当時、ニューヨークが発展期にあって、都市の環境が悪化する、混乱することが予想されていました。そういうところに、一つのキャンペーンとして、都市社会の不安定な状態を、緑の場所が救ってくれる―ということで作られたものでした。
武田 日本の公園には木が少ない、という感覚があります。
伊藤 生活の施設として、身近な子どもが遊ぶような公園と、郊外の自然環境を保持するような公園と、いくつかの種類がありますね。やはり、木が育つためには、広がりがある空間が必要で、面積が必要になると思います。都市でどれだけその面積を確保できるかが問題になると思いますね―。

森林を生かした環境づくり
武田 例えば、この大芝高原。森がとても広いですね。
伊藤 森林を公園的に利用する場合、森で囲まれているだけでなく、この草地の広がりがあることによって森が生かされているという面もありますね。木が連なりとしてあったり、一本としてあったり、まとまりとしてあったり、そうした変化を感じます。
武田 最近、里山が変形している、荒れている、という声を聞きます。風景の中で里山というと。
伊藤 伊那谷の土地利用を考えた場合、森林が占めている割合は非常に大きいですね。見えている景色の中でも、山の一帯から、農地に点在している樹林、森が占める比重が圧倒的に大きいと考えていいと思います。
武田 私たちが「いいなあ」と感じる風景には、必ず森、森林がある。だからこそ、ですね。
伊藤 その森林が、どういう状態か―ということによって景色のあり方も変わってきますし、森の環境の経験が、風景の中で意味を持って見えてくる、ということもあります。森の中に入って、どんな森かということを味わって経験していることが、遠くに見えている森の姿に投影されてくるわけですね。
武田 やはり、小さなころから、子どもたちには外に出て、森に出て、いろんな体験をしていくことが大事になりますね。より深い風景への愛着を感じることにつながっていく―。
伊藤 そうですね。特に森林の体験というのは、大事ですね。一方で、その森林の体験がいい状態でできる環境が、今の森林にあるかどうか―ということも大事になってくると思います。
武田 この伊那谷の森林を、どのように見ていますか。
伊藤 よく言われるように、植林によって人工林が広がっています。人工林が放置されて荒れている、と言われますが、森林の蓄積、つまり木の材積は、かつてないぐらいに大きくなっているはずですね。ですから、資源的にその森林を生かした環境づくり、さらには景観づくり、という点では、とても大きな可能性を持っている、と言えると思いますね。
武田 最近は、県産材をもっと建築に使おうという動きもあります。そういう財産を積極的に活用していきたいですね。
伊藤 そうです。活用することによって森に手が入り、森の環境を良くすることができるわけですね。ただ、木を取る、収穫するだけの目的に絞ってしまうと、森の環境は損なわれる可能性も出てきます。
武田 そこで、景観、風景ということが重要になる―。
伊藤 そうですね。子どもたちが経験する場としても、いい環境であり、いい景観であるという状態を大人が作っていかなければならないと思いますね。

広がりがある森を感じる大芝高原を歩く

澄んだ秋空にくっきりとした風景を描く中央アルプス。あの山、森での体験が愛着につながる



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