2006年10月28日放送 

伊藤精晤さん

タンポポの記憶につながる風景

伊那谷の秋を歩く@

紅葉の季節を迎え、日々、山を見上げると少しずつ彩りが変わっていくのを感じる。空気の透明感も、稲穂の匂いも、日々の風景の中にある。日本は美しい、そう感じる季節でもある。
「美しい風景」と言っても、それをどうして美しいと感じるのか、どこにそう感じる根っこがあるのだろう。いなまいニューススタジオは、2回にわたり、信州大学農学部教授で、風景や景観について詳しい伊藤精晤さん(専門は林学・造園学)に聞く。
1回目は、西箕輪ふるさと景観住民協定で注目される、権兵衛トンネル近くに広がる田園風景の中を歩く。次回は、伊藤さんの専門分野でもある公園を一つの切り口にしながら、大芝高原を歩く。

「風景」と「景観」
武田 今、権兵衛トンネルを出たあたりに広がる風景の中にいます。とても気持ちがいい空間ですね。
伊藤 この伊那谷の景色は、ほかにはない景色だと思っていますね。両側にある山岳と見通せる天竜川の渓谷―この雄大な風景は、ほかにはないものです。
武田 この伊那谷の風景を見ると、ところどころに森があるのがわかります。
伊藤 森林というのは、人に見る尺度を与えているんですね。近いものは大きく見えて、遠くのものは小さく見えるということで、遠近を強調しています。伊那谷という場所の中でも、この伊那市西箕輪地区は、最も空間が広がっている場所なんですね。周囲が山地、緑で囲まれていて、一番奥に南アルプスの山岳がどっしりある―という風景。四季、季節の変化も日々おこりますから、どの季節も素晴らしいですね。
武田 特に紅葉が始まる季節は、日々、刻々と変化していきます―。また、伊那谷は、基本的に農地と山地が中心で、比較的人工物が少ないように感じます。それも素晴らしいと感じる一つです。
伊藤 自然がまず景観をなしていて、その中に人工物がどう調和しているか―ということだと思いますね。
武田 近景に広がっている田んぼでは、今稲刈りが終わって、わらの匂いが漂っています。自然の景色とこの匂い、農産物を生産する雰囲気がとても合っている。これも風景の一つだと感じます。
伊藤 こうした手前の広がりがあって、遠くの山や森が生きてくると思いますね。景色で言えば、前景があって遠景が生かされている―その両方の関係だと思います。
武田 私たちは、景色、風景、景観。この3つの言葉をよく使います。それぞれ、どんなふうに違いますか。
伊藤 風景と景観は英語では同じ「ランドスケープ」という言葉になりますが、景観という言葉は特別な言葉として作られた言葉でした。風景は、目で見て見えている対象と見ている対象とが一体になった状態を言いますが、景観は、見えている対象となっているものを言います。言いかえれば、地表面の状態、対象物の状態ですね。
武田 ということは、こうした広がりを前には「いい風景」と―。
伊藤 そうですね。見て、いいなあ―と感じるものは、それぞれ人によって違いますから、そういう意味では『風景』ですね。見ている時の光とか、大気の状態によって常に左右されていますから、対象物が見えたり、見えなかったりすることもあります。そういう主観的であるということや、自分が見ている場所の状態に左右される―これは『風景』です。
武田 例えば、美しい自然を目の前にしていても、見ている近くで大きな雑音がしていたりすれば、いい風景とは言えないかもしれない…。
伊藤 そう思います。
武田 風景というのは、五感で感じるものと言えますね。
伊藤 そうですね。視覚的なものですが、見ている場所の状態に左右されるという点では、五感が影響していると思います。

調和の中で感じる
武田 山の雰囲気、森の雰囲気、人家もあって、そこから煙が出ている…。今、そうした風景の中にいるわけですが、この風景を素晴らしいと、どうして思うんでしょうか。
伊藤 風景は、家や森で構成されているわけですが、ただ見えている家ではなく、その家に住んでいる人がいて、その回りに木を植えている…生活の調和を生み出している姿があります。その景観を、見ている人自身が、自分が生活した場合の気持ちになって見ていますね。
武田 そういうことを、我々は無意識の中で感じているということでしょうね。例えばここから、木立に囲まれた家とたなびく煙が見えます。すると、自分の経験から、そこに住んでいる人のイメージをします。そういうものが投影されている―ということ。
伊藤 そうです。さらに、その風景の中で自分の家を見ている―ということになれば、折々の自分の生活、経験を重ね合わせますね。
武田 森も林も、私たちがそこに行った時に気持ちがいい、という経験があることも重要な要素。
伊藤 そうですね。例えば、見えている山の頂上に山小屋があり、そこに行った経験があれば、厳しい気候の中に建てられている山小屋のイメージが浮かんできますね。それから、住んでいる人にとっては、自分にとっていい場所、いい季節を日常経験しています。ですから、住んでいない人にはわからない風景の見え方もあると思います。タンポポを見て、子どものころタンポポで遊んだことにつながる―というように、そうした意味が積み重なって見えていると思いますね。
武田 子どものころ、その土地のいろんなことを体験して、いろんなことを記憶することが、風景を感じる心にとって、とても大事ですね。風景を良くすることにもつながると思います。
伊藤 そう思います。自然の体験の深い子どもは、生物に対する見方、それを通じての環境の見方、風景の見方も違ってくると思います。
武田 虫の音を聞いたり、風を感じたり…。景観という言葉を『景感』と表わしたいとも思いますね。五感がすべて満たされて「いいなあ」と感じたものが素晴らしい風景、そう感じます。
伊藤 今、逆光の光を浴びた風景の中でお話していますが、ずっと手前から向こうの山の重なりまでが同じ光を受けていますね。風、大気もあの山まで連続しています。その連続性の中にいる一体感も風景の重要な要素ですね。自分のいる状態と、見えている状態との一体感―だと思います。
武田 ここにいる―と感じる一体感によって、さらに風景を感じることができる―ということですね。

伊那市西箕輪の田園風景の中を歩く

西箕輪ふるさと景観住民協定者会が地域内に設置している看板。木を使い、自然や風景に調和したデザインに工夫されている



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