2006年8月19日放送 

みらい塾 市ノ羽晧さん 幸子さん

お届けものは伊那谷の豊かさです

農家民宿みらい塾を訪ねて@

お盆や夏休みをふるさとで過ごそうと、伊那谷を訪れている人も多い季節。一方、迎える側では、夕方になると心地よい風に包まれるこの伊那谷を体いっぱい、心いっぱい感じて帰ってもらおうともてなす。この季節に訪れる人、また、迎える人、それぞれに伊那谷の良さ、ありがたさを実感する夏でもある。
伊那市長谷にある農家民宿みらい塾は、そんな伊那谷のもてなしの空間。花農家を営む市ノ羽晧さん、幸子さん夫妻が、「気の利いたものは何もないけれど、心やすらぐ何かがあります。自分サイズの豊かさを探しに来ませんか」(HPより)―と始めたものだ。晧さんが野菜を育て、幸子さんが素材を最高に生かしてもてなす。そして、その場となるのは、築120年以上の民家だ。今では伊那市長谷地区でただ一軒の専業農家として、未来を担う存在でもある。
「何もないところには、すべてがあるんです」と幸子さん。何気なく空気のように在ってくれる伊那谷の自然、人のあたたかさを、あらためて思いたい夏である。
いなまいニューススタジオは、農家民宿みらい塾を訪ね、2週にわたって伊那谷のもてなし、そして出会いについて聞く。

季節と土地を感じるおもてなし
武田 この「みらい塾」という名前の由来は―。
幸子 ここは、年間約50万本のアルストロメリアを栽培しています。このアルストロメリアの花ことばが「未来へのあこがれ」なので、そこから「みらい塾」と。
アルストロメリアは南米の花で、ペルーでも標高が3千b級の場所に自生していると言われています。ペルーというと、太陽に近いというイメージで暖かいと想像しますが、実はとても涼しい気候を好む花です。このあたりは標高約900bありますから、適地ではないかということで―。平成元(1989)年に栽培を始めて、今年で18年になります。
武田 こちらでのおもてなしの料理は―。
幸子 お出ししているのは、季節の野菜を中心に、ほとんどここで採れたもの、誰が作ったかわかるものばかりです。
武田 この農家民宿を始めるきっかけは。
幸子 今から9年ぐらい前のことですが、ここに花狩りに来るお客さんを座敷にお通しして、お茶を飲んでいただいたことがありました。そのお客さんが「こんなところで何も考えないで、ゆっくり休みたい」と言われて―。その時に「あ、これかな」と思ったんですね。その一言で。ちょうどそのころ、日本のグリーンツーリズムの草分け的な存在の方が大鹿村にいらっしゃったので、会いに行きました。そこは、納屋があって、囲炉裏があって、とても素敵な場所でした。そして、帰ってきた次の日に、当時蓋をしてあった家の囲炉裏を開けて、早速五平餅を作って食べてみたんです。それがとてもおいしくて―。こういうおもてなしだったら喜んでもらえるのかな…というのが始まりです。最初は自分たちで楽しんでいたんです。
野菜を作るのは私の担当で、今日お出しした地蜂も、自分で採ったものです。
幸子 始めたころは肉を買ってきてお出ししたこともありましたが、そういう料理ばかり残ってしまうんですね。ここはリピーターのお客さんも多いので、そういう方には肉もお出ししますが、ほとんどは、ここで採れた野菜が中心です。
武田 ご主人が作ったものをお客さんにお出しする―。理想的な地産地消のスタイルとも言えますね。
幸子 そうですね。例えば、キュウリがたくさん採れて困る時には、つくだ煮を作ったり、加工もしてお出ししています。ここでは、完全無化学農業、化学肥料を一切使わない農業をしているので、そういった野菜をお出しします。
武田 ここでは、まず味覚、そして匂い、それから聴覚、視覚、そして時折吹いてくる風を感じる皮膚感覚―五感をすべて満足させてくれます。
幸子 いつもあるがまま、自然体と思っています。

牛一頭を連れて
武田 アルストロメリアの栽培を始める前は、どんなことを。
農協の職員として勤めに出ていました。勤めていた時に一番感じていたことは、斜地が多くて耕地が少ないこの地域で残っていける農業は、施設園芸ではないか―ということでした。そこで、いろんな農家へ出かけて話をしてみましたがなかなか進まなかったので、いっそのこと自分で始めてしまおう、ということで―。
武田 思い切った決断だと思いますが、幸子さんの反応は。
幸子 大賛成でした。当時、おじいちゃんが村長、おばあちゃんと私が農業をしていました。一生の時間は限られていますから、一緒にやる農業は、とてもいいんじゃないかと思いましたね。
武田 幸子さんは、最初から農業をやるつもりで嫁いできましたか。
幸子 結婚する時に牛を一頭連れてきたんです。実家は酪農をやっていまして、父も母も酪農をやりながらすごく夢があって、いきいきとしていたんですね。こういう農業だったら私もやってみたいと、小さいころからずっと思っていました。だから、中学校を出たら高校へは行かずに、すぐに酪農の研修に行きたいと思っていたぐらいで…。
武田 結婚した当時、農家に行きたいという女性は、それほど多くはなかった時代では―。
幸子 そうかもしれませんね。小さいころから、「私は牛飼いになるんだ」と言っていましたから、同級会で当時の友人に会うと「お前だけだなあ、夢をかなえたのは」とよく言われますね。
花の専業農家になる時は周囲からの反対もありました。もともと農協の技術員といっても、花を担当したことはありませんでしたし。でも耕地が狭い、標高が高いという地域の実態を見た時、また、このアルストロメリアという花は日本の中でも、このあたりが一番の産地―ということを考えて、決心したんですね。今は40eの栽培面積です。失敗しながら、だんだん教えてもらいながら―。
武田 牛を一頭連れて嫁いできて、今、こうして農家民宿をしている。こういう展開になると思っていましたか。
幸子 全く思っていませんでしたね。こういう民宿を始めて、来てくださる方たちが、ここへ来ると元気になる―と言ってくださるんですね。出会う人によって、人生はどんどん変わるんだなあと思っています。自分の人生が変わるような出会いが何度もありました。

ものを作る喜び 育てる楽しみ
武田 専業農家は長谷にここだけ、一軒しかないそうですが、その専業農家を継いだ息子さんは、すんなりと後継者に。
幸子 継いでほしい気持ちはありました。私自身、実家の父も母も、すごく農業を素敵にやっていました。父は、山登りをしたり、スケートをしたり、雨が降る日はSPのレコード盤で音楽を聴いて…。花も好きで、カラーという花が上伊那のどこにもない時代に東京まで買いに行ったりもしていましたね。母親は、一週間に一度ぐらいは美容院に行って、いつもいつもきれいにしていました。そういう父と母を見ていて、私の職業は百姓しかない―と思っていたんです。私は、今は花をやっていますが、息子にも農業を継いでほしいという思いがあって、息子が中学生のころに農業高校を薦めました。その時は息子も親戚も反対でしたが、その後、農業高校から信州大学農学部に入りまして―。
武田 最近、私たちの生活から、自分でものを作るということが少なくなってしまいました。農業をやっている皆さんは当然、自分たちで作っているわけですが、豊かさは何か―と考えた時、消費するというよりも、作る喜びのほうにあるのでは、と思います。
そうですね。農協に勤めていた時、立場上、農家をずっと歩いて回って、ものを育てる楽しみというのを痛切に感じてきました。私自身も、自分で農業を始めてみて、育てる―というのは楽しみの一つです。
武田 後継者となった息子さんも、晧さん、幸子さんの姿を見ていて、決めたのではないかと思いますね。
幸子 そうだと、うれしいですね。
武田 実際、こういうところで暮らしていて、豊かさを実感する毎日だと思います。
幸子 幸せなことにお金やものが豊かさではないと感じていますね。お父さんが作ってくれた野菜で、私が料理をして、ここでおもてなしをする。それも豊かさだと思います。豊かさを感じる心を子どもたちに少しでも伝えられたら、と。

花々で彩られたアプローチを楽しみながら、みらい塾(奥に見える白壁の土蔵)に向かう。そこまでの歩道もおもてなしを演出している


現在は後継者の長男が中心となってアルストロメリアを栽培しているハウス。長谷では唯一の専業農家


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