| 武田 |
一番飴が売れたのはいつごろでしたか。 |
| 稲垣(実) |
36災害の時だね。その当時は、うちのように手作りで飴を作っていた店が10軒あったから、競争で自転車に飴を積んで届けたものでね―。当時は天竜川の東側の中沢に数百人も作業員の人が来ていて、そこに着く前にもう売るものがなくなるぐらい売れて、売れて―。でも、近ごろは、セロファンに包んである飴がたくさん売られるようになって「包んでないとポケットに入れておいて食べられない」からって、うちのような飴はなかなか…。それで、他の店は作るのをやめてしまったんだね。 |
| 武田 |
稲垣製菓では一日どのぐらいずつ作っていますか。 |
| 稲垣(実) |
午前中、二人で朝早くから120〜130袋作って、午後からは配達に回って―。 |
| 稲垣(智) |
尊い飴だと思いますね。今の時代には、後を継いでいく人がいないのは寂しいとは思います…。今、全体に自然食品や健康に目が向けられて、こういうものを喜んでくれる時代になってきていると思いますが―。 |
| 武田 |
手作りで、一つひとつ形も大きさも違う飴。本当に貴重だと思いますね。 |
| 稲垣(智) |
見たところは悪いかもしれないけれど、食べてみると味はいいです。それで、一度買ってくれた人はまた買ってくれて、ありがたいことだと思っています。健康で、こうして作り続けていられることも、ありがたいことだと思って―。 |
| 稲垣(実) |
上伊那でも一人になっちゃったけれど、今のこういう時代になっても、楽しみに買ってくださる人があるのは、これまで辛抱よく続けていたからかなあ、と思いますね。ありがたいことで―。量産はできないけれど、なんとか辛抱しながら続けていければ―。 |