2006年4月8日放送 

へぎ板職人 小林鶴三さん

伊那谷〜木曾谷新時代A
〈へぎ板〉天然の魅力を伝えたい

信州伝統の木の文化

〈へぎ板〉は、刃物を使わず、手で木を薄くし、木の繊維を生かした板。〈へぐ〉という技は、木本来の性質を知り、木に心を寄せなければできない職人の技だ。その〈へぎ板〉職人は、木曽谷にはもうほとんどいない。
権兵衛トンネル開通で伊那谷と木曽谷が新時代を迎えて2カ月余。木曽の木の文化を守る〈へぎ板〉職人、小林鶴三さんを訪ねる2回目は、〈へぎ板〉の技を結集した展示室内で、技の伝承や魅力などについてじっくりと聞いた。

心なごむ〈へぎ板〉の表情
武田 へぎ板というのは、主にどんなところに利用されて―。
小林 昔から、幅の狭いへぎ板を編んだ編代(あじろ)天井が茶室に使われたり、幅の広いものは〈野根板〉と言って、化粧庇、腰板にも使われてきました。昔から〈へぎ板〉のこの光沢を見てなごんだものですね。ノコギリの歴史は室町、江戸時代あたりからですが、その前から、木を薄く板にする、割るのはこの〈へぐ〉作業でした。今は機械で薄くする〈突き板〉というのもあって大量にできますが、この自然の光沢ある〈へぎ板〉があまり知られなくなって、悔しいですね―。
武田 こちらでは、へぎ板を使った屏風もありますが、これも昔から―。
小林 屏風にへぎ板を使うのは最近のことです。今の建物では、編代天井も少なくなってきたので、屏風などに使って、少しでも多くの人に見てもらいたい、という気持ちで5年ほど前から作っています。本当にへぎ板は心がなごむいい表情をしていますから、近くに置いて見てほしいですね。
武田 この展示室では、木曽の漆器の下にへぎ板を置いていたり、その隣にへぎ板の屏風を置いたり―。雰囲気がとてもいいです。
小林 やはり、昔から、いい―と言われているものはやはりいいですね。この良さをもっと知ってほしいです。今は目の前で〈へぐ〉作業を見せて、こんなに光沢があっていい、というところを見てもらって、はじめてその良さをわかってもらえる…。写真や話だけではわかりにくい部分もあるんですね。
武田 〈へぎ板〉のこの天然の光沢は、本当に見飽きない素晴らしさです。
小林 昔の人は、こうした〈へぎ板〉を見て楽しんで、本当に情緒がある暮らしをしていたんだなあ―と思いますね。今はそういう情緒が欠けてきてしまったようで、残念に思いますね。信州に、これから少しでもこの〈へぎ板〉を残していきたいと思っていますが―。
武田 編代天井、というと茶室に使われることが多いので、京都などで作られていると思いがちですが、これは信州の伝統の木の文化。でも、木曽谷でも職人はほとんどいないそうですから、なんとか残したいです。
小林 そうですね。昭和の初めに私の父親が木を求めて木曽谷にやってきたころには、10数人の職人がいたそうですが―。そのころには、材料のネズコもたくさんありましたね。私自身、父親について仕事をはじめた38年前には、材をミカン割りする時、トントンッと叩くと、すぐにきれいに割れるような素晴らしいものがたくさんありました。父親は、沢筋の水を豊富に吸って育ったいいものだ―とよく言っていましたね。

減ってきた天然木
武田 これからは、この展示室のような和室、日本文化に浸ってゆっくりと時間を過ごすというのも大切な時代になっていきますね。
小林 そうですね。私自身、若いころにはこの〈へぎ板〉の魅力がわかっていたわけではなかったと思います。父親について仕事を始めて5年ほどで父親が亡くなってしまって、そのころはまだ技も十分には身についていなくて―。職人というのは、見て覚えるもの―とよく言いますが、それからはずいぶん大変でした。
武田 22歳の時に父親の仕事を継いだそうですが、それ以前から継ごうという気持ちはありましたか―。
小林 はっきりと決めていたわけではありませんが、子どものころ、厚く貼り合わせてあった教科書の表紙を自分で薄く剥いでいた―そんな思い出もあります。今思うと、父親の仕事を見て、同じようにやってみたのかな、と―。
武田 今使っている道具は、すべてお父さんが作ったものだそうですね―。
小林 そうです。特殊なものなので、父親が鍛冶屋に頼んで作ってもらったものです。
武田 昔は、〈へぎ板〉の需要は―。
小林 機械で薄くする〈突き板〉も、今のように質が良くなくて、表面がざらざらしたものでしたから、やはり〈へぎ板〉が主流ではありました。
武田 材料のネズコが減ってきたのはいつごろからですか。
小林 この10年ほどだと思いますね。今は森林管理局にお願いして、適材を手に入れています。
武田 でも、良質のものが減っていくと、この編代天井をはじめ〈へぎ板〉が、ますます貴重なものになっていきますね。
小林 あと何年でなくなってしまう、ということが見えてしまうので、後継者のことを考えても…。大昔、父親の時代はスギを割っていたという話も聞きましたから、そういう可能性も考えてみようと思ったりもしているところですが―。
武田 秋田スギの産地には〈へぎ板〉職人はいますか。
小林 板屋根に使う〈野根板〉の職人さんはいるそうですが、編代天井に使うような〈へぎ板〉を作っている人はいないそうです。材料のことを考えても、私一人の力では〈へぎ板〉職人の後継者については、どうにもならない、というのが現実です。
武田 最近、長野県でも木材や森林に関心が向けられるようになりました。森、材木を生かすことを総合的に考えて、ぜひ、こうした木の文化も残していきたいですね。
小林 そうですね。私のように悩みを持った職人もたくさんいると思いますから、ぜひなんとか残していきたいと―。材料の木材については、やはり人工林で育ったものは割りにくい。目が粗いんですね。自然にじっくりと育ったものにはかなわないんですね。
武田 これからは、どんな方向で。
小林 昔の人が「いいぞ」「きれいだぞ」と言っていた〈へぎ板〉を、一人でも多くの人に知ってもらいたいし、信州の木の文化だということを知ってほしいですね。そんな中で、後継者問題もいい方向へ向かっていけば、と。とにかく、まず見てほしいです。

〈へぎ板〉は、刃物を使わず、手で〈へぐ〉〓写真。木の繊維を生かすため、刃物は使わない。小林さんが主に材料にしているネズコは、年が経つほどに黒味がかった艶が出て、10年以上経つと黒光りするような独特の艶が現れるという


茶室などに施される網代(あじろ)天井。へぎ板を矢羽根や市松模様などに編んでいく工法。材料年数が経つにつれて黒く味わいが出るネズコが主流だが、ほかに、サワラ、スギなどが使われる

目がしっかりと詰まった天然のネズコ。10年ほど前から減り続け今後も調達が難しいという



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