2006年3月11日放送 

信州大学名誉教授 氏原暉男さん

蕎麦が運ぶ国際貢献

蕎麦博士に聞く 〜支援から自立へ〜

ソバといえば信州。ここ伊那谷も「行者そば」や「高遠そば」など古くから伝えられ、おいしいとされるソバの産地として知られる。
ソバ博士として日本だけでなく、世界のソバ研究を重ねている信州大学名誉教授の氏原暉男さんは、麻薬の原料となるケシの栽培で生計を立てているミャンマーの農民たちに、ケシの替わりにソバ栽培を広げ、自立、自活の道を支援する活動を進めてきた。昨年NPO法人アジア麻薬・貧困撲滅協会(氏原暉男理事長)を立ち上げ、さらに根を張る活動にするため、奔走している。
健康食としても注目されるソバ。秋には信州の典型的な美しい風景ともなるソバ。私たちにとって、身近な食文化であるだけでなく、国際貢献に、そして国際交流にもつながる存在となっている。
今回のいなまいニューススタジオは、氏原暉男さんをゲストに迎え、ソバの魅力、そして支援から自立へと進み始めた活動について聞く。

氏原暉男さん
教授として信州大学在籍中、ソバの研究に携わり、カナダ、フランス、ネパール、中国、モンゴル、タイなど世界のソバを研究、品種改良にも取り組む。退官後の平成11(1999)年から4年間、ミャンマーに移り住み、ソバの栽培普及に尽力。品種登録したソバとして、信州大そばや高嶺ルビーなどが知られる。全国麺類文化地域間交流推進協議会顧問。長野県そば工業技術研究会顧問。信州大学名誉教授。
NPO法人アジア麻薬・貧困撲滅協会ではソバの購入などを進めるため、広く支援を求めている。
問い合わせは協会事務局電話81・0222へ。

縄文時代から蕎麦を食べていた
武田 ソバは健康面でもいいそうですね。
氏原 昔から、毛細血管を強くするルチンという成分が入っていることはわかっていました。最近ではダイエットにいい―ということや、低カロリーで繊維、ミネラル、タンパク質にも富んでいるということで健康食として、世界的に見直されつつありますね。
武田 ソバのルーツといえば。
氏原 バイカル湖からアムール川のあたりに野生種があることから、北から南にソバが広がったという北方説を、今から100年ほど前にスイスの学者が出しました。ところが30年ほど前から、中国の南部に野生種があるようだということで集めて比較したところ、中国の雲南省の高原地帯が原産地ということがわかりました。新石器時代ぐらいには北上していって、その地域にあったソバが改良されて、シベリアまで行ったんですね。日本には縄文時代に、すでに入ってきています。
武田 かなり昔の人たちから、ソバを食べていたということ。
氏原 中国からモンゴル、シベリアにかけてですね。日本で一番古い記録では、722年の詔にはじめて「ソバ」という言葉が出てきます。休耕作物として作られたようですね。ソバを作って備蓄しておくように―とあります。
武田 日本以外ではどんな食べ方を。
氏原 麺のように食べるのは日本が一番多いですね。あと、韓国、中国、ブータンでは、トコロテン式に押し出して食べています。ロシアから中国一部、欧州、カナダ、米国ではソバ粥のようにして―。米国では西部劇のころに食べていたという記録もありますね。主に北半球全域で食べられていた―ということですね。
武田 世界的に一番食べられている国は。
氏原 中国ですね。10万f以上栽培しているのが13省ありますから。ソバ製品はあまり売られていませんが、酢や醤油に加工されていたり、成人病にいいということで、病院でたくさん使われているようです。
武田 信州人とソバは切り離せませんが、信州で食べられているソバは、最近では国産が少なくなっているそうですね。
氏原 去年の統計では、日本で1年間に必要とされるソバの量が約13万d。そのうち、9〜10万dが中国から入っています。そのほか、5〜6千dがカナダ、米国、ミャンマーなどですね。国産では、江戸時代からの記録を見ると、関東一円でソバは作られていましたが、「究めて上物は信州なり」という記述もあります。信州は標高が高くて涼しいので、貯蔵条件がいい―ということだと思いますね。
武田 世界の他の地域と比べても、信州産は質がいいと―。
氏原 麺にするには信州産にかぎると思いますね。外国でパンにしたり、パスタにしたり―ということになると、ソバそのものの味がなくなりますね。日本人が好むのは、ソバ独特の香りと粘りとのどごし。これはもう麺やソバがきなどでしか味わえません。日本独特の伝統的な食文化でしょうね。日本が作り出したもの―ということでしょう。
武田 最近では、赤いソバの栽培もされていますね。
氏原 1975年、ヒマラヤに学術調査に行った時に出会ったソバですね。ヒマラヤ山麓であんまりきれいだったので、ぜひ日本にと、高嶺ルビーと名づけて栽培を始めました。在来種よりも少し小粒ですが、味はなかなかいいです。これからは、こうした特殊な種が付加価値を伴って栽培されるようになれば、農業にとっても、農村にとってもいいと思っています。見て楽しく、食べて楽しく。
武田 ソバの魅力といえば…。
氏原 ソバを打つ側の魅力で言えば、同じ素材で同じような製粉をして10回打っても、自分が納得いくようにできるのは1回か2回。気温とか湿度、体調、気分…何か違ってくるんですね。やってもやっても、なかなか行きつけないという奥の深さがありますね。

蕎麦で支援 蕎麦で自立
武田 ミャンマーとの出会いは…。
氏原 今から10年前、日本ソバ協会などから、麻薬の原料としてミャンマーで栽培されているケシの替わりにソバが合うんじゃないか―という話が出ました。ケシが栽培されているのは、ミャンマーと中国の国境地帯で、中国でいえば雲南省ですから、ソバの原産地です。それで、偵察に行って、日本から持って行った植物を試験栽培したところ、結果が良かったこともあって、これはいけるかもしれない―と。私自身、研究生活を続けてきて、自分の研究の成果を実際に農業に役立てたい、世界中の農村に役立てることができたら―という思いもありました。
武田 現地の皆さんは、ソバを喜んで迎えてくれましたか。
氏原 最初は、なかなか受け入れてもらえませんでしたね…。ミャンマーでは9割が日本車の中古車で、ビス一本捨てずに最後の最後まで使い切るんです。ミャンマーに住んでみて、ものを大事にすることを学ぶことも多かったですね。
武田 日本の原風景のような―。
氏原 そうですね。まだ牛車や馬が車と共存していますね。
武田 現地でソバを栽培して、農村の収入は―。
氏原 ソバは日本でも休耕作物と言われるぐらいで、短期間でできるんですね。英語ではエマージェンシー・クロップ(緊急食料)とも言われます。ケシは6カ月かかって、しかも大変な重労働です。ソバは55日で収穫できますから、生産労力が少なくて、それなりの収入が得られるという意味では、いいと思っています。今、ミャンマーではソバを製パン業者が買って麺にしたり、そば焼酎にしたりもしています。そのほか、ソバケーキなども作っています。
武田 ミャンマーのケシをソバに替えていくことは、間接的には米国の麻薬患者を減らすことにもつながりますね。NPOでの活動も始まったそうですが、基本はミャンマーの皆さんが自立することが一番の目的ですね。
氏原 そうです。今まで、ミャンマー政府や日本などが技術的な指導、協力をしてきました。ところが生産物は公的な機関では扱えませんから、ミャンマー政府で民間に委託したんですね。それで、今はミャンマーのNPO的な組織と一緒に進めています。ミャンマー側では、農村で栽培している農民たちに「買うから―」と宣伝して進めていくわけです。現地の人が言えば、日本人が言うよりもインパクトがあります。そうして、だんだん、今まで依存してきたものが、自分たちで考え、作り、売ろうとします。これが一番大きいと思っています。支援から自立へ、ということです。

ミャンマーの子どもたち。氏原さんはこの子どもたちの明るい未来のためにミャンマーでのソバ栽培を広めている(写真=氏原さん)

高嶺ルビーのふるさとヒマラヤの赤ソバ(写真=氏原さん)



製作:伊那毎日新聞社 All Rights Reserved (C) 2005  制作協力:Fieldwork