< いなまいニューススタジオ
2006年2月25日放送 

ルビコン株式会社会長 登内英夫さん

シリーズ上伊那経済の牽引者たち
「すべて日本一になりましょう」 父の厳しさに教えられて

世界にはばたくものづくり

伊那谷から世界に発信されるさまざまな技術。美しい自然環境とともに、今やものづくりのふるさととしても知られるようになった。コンデンサーの世界的メーカーとして知られるルビコンは、その〈ものづくり〉の精神で成長してきた伊那谷経済を牽引する力となっている。
ルビコンの出発は、昭和27(1952)年。技術も販売網もないところから、若き創業者・登内英夫さんが築き上げてきた。チャレンジ精神を貫き、辛抱を重ね、今がある。創業時から抱き続けるチャレンジ精神は、今も変わらぬルビコンの姿勢につながっている。
経営トップとして、激務と重圧と責任の中にあり続けながら、壊れた時計を修理して動くようにしたときの喜びを満面の笑顔で話す登内さん。そこに共通するのは、〈ものづくり〉への休むことなき挑戦だ。
今回のいなまいニューススタジオは、シリーズ上伊那経済の牽引者たち(伊那毎日新聞紙上では2月9〜10日に特集)。ルビコン創業者であり、現在会長の登内英夫さんに武田徹キャスターが聞いた。

ルビコン株式会社会長 登内英夫さん
1917年、手良村(現在の伊那市手良)生まれ。昭和27年に日本電解製作所を創設、これが現在のルビコンの始まりとなる。会社経営に携わりながら、県議会議員を32年間、伊那商工会議所会頭を28年間務めるなど地方自治、地方経済にも大きく貢献してきた。2000年からルビコン会長。88歳。(写真は生家の庭にあるケヤキの木。厳しさを教えられた父の思い出の木でもあるという)

父の厳しさに教えられて
武田 生家は養蚕をしていたそうですね。
登内 蚕の種を取る蚕を飼っていたので、大変でしたね。父親がとても厳しかったですし。言いつけた用事を済ませていないと、夕飯を食べさせてくれないこともありました。「外へ出ていろ」と言われて…。そこで母親が「一緒に謝ってあげるから」と家の中に入れてくれたことが何回もありましたね。
武田 そのお父さんの厳しさが、その後の登内さんに大きな影響を与えたのでは―。
登内 そう思いますね。時々自分の行動を考えてみて「これも親父が教えてくれたんだな」と気づくことがたくさんあるんです。例えば「人生は悪い時もあればいい時もある。悪い時をくぐり抜けることができなければ何をやってもだめだ」とよく言われました。それから、あの人は運がよかったなどと軽はずみに言ってはならない。その人がどんな努力をしているか、苦労をしているか知らないから。運という字は運ぶと書く。努力によって運を運びこむものだとさとされました。
武田 子どものころは、学校から帰るとすぐに家の仕事を。
登内 そうです。蚕を飼っていましたから。雨が降っている時にもクワを取りに行って、首筋から水が入って…。ですから、自分の中ではもう蚕を飼うのは嫌だなと思っていましたね。子どもが働くことは当たり前でしたから。
武田 そういう中で辛抱の大切さということも―。
登内 そうですね。それも今の基本になっているかもしれませんね。それと、父はとてもきまりがいい。きちんとしていました。いいかげんなことをしているとすぐに叱られるわけです。ですから、そのことは父の私に対するしつけの一番大きなことだったかもしれません。
武田 お父さんの影響は大きいですね。農業高校を卒業した時、農家の跡を継ぐように言わなかったそうですね。
登内 一言も言いませんでしたね。農業の大変さを知っていましたから、父に「まだ若いんだから、しばらく旅をさせてくれんかなあ」と言ったわけです。すると父は「旅をするということは、勤めるということか」と。「そうだよ」と言うと「いいじゃないか、やってみろよ」と言ってくれたんです。昭和10年4月のことです。景気も悪い時でした。
武田 そのお父さんの一言は、その後の登内さんの人生にとって大きかったですね。
登内 そうですね。

誠実と信頼と
武田 これまで、たくさんの出会いがあってここまで来られた。そのことに感謝している、と聞きました。
登内 最初の出会いは、高校を出てすぐにお世話になった向山幹夫博士ですね。おかげで、佐久にあった向山博士の工場の研究室に入れてもらって、仕事をさせていただきました。その関係で台湾にも行かせてもらいました。人というのは、いつ出会っても大事にしなければならない、と今も思っていますね。
武田 昭和30年前後から日本経済がようやく上昇を始めました。会社も同じように上昇を始めて―。
登内 そのころ日本経済を牽引したのは家電商品だったんです。それにうまく乗って行った、ということでしょうね。その中で、この会社が残っていった一番の理由というのは、販売を自分で手がけた、ということです。もう一つは技術革新についていく、ということですね。その点ではとても苦労しました。いいものを作りたい、という気持ちが強くありました。
武田 例えば、他社に高い技術があると知った時、真似して追いつきたい。でも、その技術を手にするのは大変なこと―。
登内 そうですが、そこで友達を大切にする、ということが生きてくるわけです。以前、同業者が、わが社の社員を預かってくれたこともあったんですね。日ごろの信頼関係があったからこそです。
武田 人間関係を大切にしていく、ということも一つの大きな経営哲学と言えますね。
登内 そうです。
武田 日本経済の高度成長時代を過ぎてオイルショック、バブルの崩壊もありました。
登内 影響はありましたね。コンデンサーの分野では後発メーカーでしたから、売るところがなくて、とても困ったことがありました。でも、そのころも、ある商社の人と知り合って、お世話になってありがたかったことがありました。そうしたいろんなことが上手く歯車が合って、乗り越えることができたんです。
武田 県会議員と企業経営トップ、伊那商工会議所の会頭。ほかにもたくさんの要職にあって、それはそれは大変だったと思いますが―。
登内 いろんな人に支えられて、ここまで来たと思っています。今振りかえって考えてみると、よく動いてきたなあ、と思いますね。
武田 その原動力は―。
登内 健康でしょうね。それと責任感。責任感というのは、誰しも持っているものだと思いますが、ただ、それをいかに活用していくか。そして、だめなことはだめ。そのけじめをつけること。どんなことでも、やれば必ずできるということ。それが私の経営哲学ですね。私自身、できなかったことはない、と思っています。なせばなる。昔、電球がなくて困った時も、最後には自分で作りました。ある時、バッテリーが無くなった時も「できると考えること、できるじゃないか。できないことをできるようにすることを考えたらどうか」と言ったんです。そう考えれば必ずできますよ。そうでなければ、会社のコンデンサーもできなかったと思います。そして、従業員を大事にするということですね。悪い時は悪いなりに我慢してもらう、いい時にはちゃんとする。これが大事だと思っています。
武田 これも信頼関係ですね。
登内 そうです。信頼関係。昭和36年に会社の社歌を作りましたが、その歌詞に「伝統と進取」という言葉があります。伝統を築いていくためには、ものごとを先取りしていかなければ、ということですね。2番の歌詞には「努力と研鑚」、3番には「誠実と信頼」。ものを作るには、誠実と信頼で、ということです。誠実があってはじめて信頼される、ということですね。

時計と〈ものづくり〉
―時計の修理に向かう時の気持ちは
動かない時計を動くようにした時、それが最高の喜びだね。簡単なものよりも、やってみて全く動かなくて、直してもまだ動かず、また分解して修理し直して…それを2、3回繰り返すと、どこが悪いかわかってくる。それが楽しいね。一番楽しいのはそういう時だね。父はほとんど道具がなくて直していたから、すごいと思ったね。いろいろ考えて工夫して…。自分が同じような場面に遭遇した時には「親父はあんなふうにしていたなあ」と考えるわけですね。
―専門にしていた化学分析と時計の修理、共通するところは
例えば、時計が動かない場合と、分析しても結果が出ない場合がある。そういう時には、どうするか考えてやる。そういう点は同じことだね。化学分析と機械というものは、基本的には全く違うものだけれど、付き合ったときには、同じような考え方が必要だということ。ものづくりというのは楽しいものですよ。それが商売につながってくると苦しみもあるけれど…商売を考えなければ、ものづくりというのはこんなに楽しいものはないね。それと、時計を直す時も、寸暇を惜しんで直す。そういうところに価値がある。そういうことをしてきたから、無駄なことに自然と気づくようになるね。

自宅の敷地内にある工房で時計の修理


ルビコン株式会社
世界トップクラスのコンデンサーメーカー。ルビコングループで生産されているアルミ電解コンデンサーは、年間およそ80億個。ストロボフラッシュ用コンデンサーは市場の70%の占有率を誇る。製品の開発、製造、そして販売から物流までを担当するルビコンと、機械設備を担当するルビコンエンジニアリング、素材を担当する信英蓄電器箔の3つの会社のトライアングルが、ルビコンの飛躍を支える。

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