2005年12月17日放送 

信州大学農学部教授 木村和弘さん

里山と農業と景観とA 調査、そして農村計画

林業と農業をつないで 山古志村の調査から

農業、農村風景から景観を、そして里山を考える2回目。今回も、信州大学農学部教授の木村和弘さんをゲストに迎える。
木村さんは、中越地震で大きな被害に見舞われた新潟県山古志村に調査に入り、壊滅状態になってしまった農村風景、特に農地の被害をつぶさに調べている。農村につながる山林や農村に点在する屋敷林などを活用しながら、村の復興計画に役立てることはできないか、模索中だ。
山と農家と農地。この関係は、当たり前のように農村風景の中で機能していた時代がある。その機能が果たされなくなった時、景観は、どう変化してゆくのだろう。また、私たちの暮らしは―。

木村和弘さん
信州大学農学部教授。専門は農村計画、農業土木学。中山間地域の荒廃化の実態とその対策、傾斜地水田の圃場整備技術の開発などの研究に携わる。
現在、中越地震で被災した山古志村での農村計画の調査、研究にかかわる。

「目に見える被害」「目に見えない被害」
武田 木村さんは中越地震で被害を受けた山古志村に調査に入っているそうですが、阪神淡路大震災の時にも被災地に調査に入ったそうですね。
木村 阪神淡路大震災は、都市部の大震災と言われますが、農村部でも大きな被害がありました。特に淡路島では、大きな被害を受けています。調査では震災後10年間、3つの農村集落を対象に、そこでの土地利用の変化を調べました。
武田 そういう下地があった上で、今回、山古志村で調査を―ということですね。まだ避難生活をしている皆さんですが、今後、村に帰るのか、移住するのか、微妙なところにあるのではないでしょうか。
木村 この冬の間に、どんな形で住まいをどこに建てるのか、この集落に住むことをあきらめて他へ移るのか―検討を迫られている状況だと思います。行政と農家の皆さんと研究を進めているようですが、調査で通ってみると、ここに戻って家を再建したい、と感じている皆さんが多いことは強く感じました。
武田 阪神淡路大震災の後、被害状況を調べた農地は、現在はどんな状態に。
木村 現在では、ほとんどもとに戻っていますね。ただ、長い間状況を見てきて感じたことは、被害には「目に見える被害」と「目に見えない被害」があるということです。震災当時、すぐにわかる被害というのがありますね。例えば被災地はタマネギの産地でしたから、タマネギが植え付けられていました。その農地に震災でクラック(裂け目)が入ると、よくわかりますから被害の認定がされます。ところが、段差ができたり、傾斜がついたり…見えない部分も多いわけです。溜め池で言えば、法面が崩れたといえば目に見えますから、すぐに改修の手立てが講じられます。ところが、次の年になってみて、水が溜まらなくなった、ということもあります。さらに、畑から田んぼの状態に戻したら、凸凹があって水が溜まらない…など、震災直後の調査では見えない被害があります。ですから、長期にわたってきちんと調査することによって「目に見える被害」「目に見えない被害」がわかってくるんですね。さらに、被害の結果、例えば、水が溜まらないから休耕田にしなければならない―など、今まで行われていた農業ができなくなる場合があります。すると、連続して休耕田が増える可能性も出てきます。
武田 目に見えない被害は、かなり綿密な調査が必要―。
木村 今回の山古志村の場合も、目に見える部分は改修されていきますが、棚田の部分は、どこまで改修されるのか…。そういう部分についても、提案していけたらと思っています。
武田 山古志村や淡路島で農地の調査を実施することによって、これからの農地のあり方も見えてくるのでは―。
木村 私自身、農業整備技術の開発を長年やってきましたから、そうした部分で、これから改修する棚田についても、使い勝手が良く、安全な作業ができ、景観にも配慮した田んぼづくりができたらと考えています。

山古志村(昨年5月撮影)。住宅は倒壊し、道路も寸断。現在は基幹道路の整備を中心に工事が進められている
屋敷林を利用して
武田 山古志村の住宅再建計画については―。
木村 農家の住宅はほとんどつぶれていますが、周囲の屋敷林は残っています。屋敷林はほとんどがスギでした。つぶれてしまった家と同じ場所に再建するのか、他の場所なのか、今はまだわからない状況ですが、この屋敷林のスギをうまく使えないだろうか、と思っています。この木を住宅の用材に使うことによって経済的にも助けになり、自分たちが育んできた木をうまく使うことによって、精神的な効用も非常に大きいのではないか、とも思いますね。
武田 昔の農家は、農業も林業もやっていた。今回、その林業もつなげられないか、ということですね。
木村 そうです。例えば屋敷林の中には、胸高直径が60aもあるものもあり、年輪を見ると80年生など、非常に立派なものがあります。それをうまく使うことができないだろうか、と。たまたま、信州大学農学部には演習林があり、伐採の技術者もおります。また、私の研究室を出て大工になった生徒もいて、地元の材を使って家を建てています。彼らにも話し、協力して調査に入ろう、というところです。
武田 それがうまく進めば、長野県内で、例えば県産材を住宅に使う―といういい例にもなりますね。
木村 今までは、それが当然のこととして行われてきたことです。ところが、今は、大工と、山の技術者と所有者がそれぞればらばらで連結がありませんね。そこで、こういう提案ができたらと。山の内部であっても、山の川上から川下まで、大工も含めて一緒に考えると、もっと違った形が出てくるのでは―と期待しています。山古志村などにも、地域に地元の製材所がありますから、そうした皆さんにも提案できたらと…。そうした時に、提案するには話だけではどうにもなりません。ここにはどういう木があって、どのぐらいあります―ということを丁寧に示していくことも必要だろうと思います。

山古志村。住宅の内部は壊れ住める状態ではなく、隣にあった農機具小屋も、農具もつぶれている
「住民は避難生活をしながら自宅隣の農地に通い、山古志村特産のトウガラシを植えて育てています。これを見て、やはりここに帰りたいんだと感じました。こういう住民の意識を感じて、災害復旧の計画をしていかなければと」(木村さん)
森林−集落−農地
武田 この写真(写真下)は―。
木村 今の農地と山の関係を端的にあらわしている写真ですね。手前の農地と山の間に見えるのが、獣除けの柵です。これが、山と農地とを分断しています。これを無くすためには、山の手入れをすること、動物の生態をきちっと観察することが重要です。このことは、長野県の典型的な農村集落の景観である、森林―集落―農地という流れの中で、ものごとを考えていく一つの例につながっていくと思いますね。山古志村で考えていることも、その一環に位置付けたいと思っています。
武田 獣除けの柵を作らず、山の手入れをすれば、動物たちも自然に本来の山に…。
木村 簡単ではないかもしれませんが、いくつかの例では、山の間伐をきちんと実施したところでは、獣の被害が少なくなったと言われていますね。また、土地利用で、水田放牧という方法も最近増えています。山と農地の緩衝地帯に動物を入れることによって、動物で動物を駆逐することができるかもしれない―ということですね。やはり、セットで考えていくことが重要だと思います。
武田 阪神淡路大震災や山古志村での綿密な調査は、今後生かされてほしいですね。
木村 農村については、調査そのものがまだ少ないという状況です。従来は、元あった通りに戻す、つまり災害復旧。そのための技術はありました。しかし、今回の山古志村のようにそれ以上の被害を受けた場合は、復旧ではなく、復興なんですね。そうした視点での研究はこれまでは少なかったと思います。
武田 そうした調査結果が、伊那谷の棚田や農地の維持管理に生かされるといいです。
木村 そうですね。まさにそこに生かすために、現在調査をしている―という部分もあり、そういうところに生かされてこそ、と思っています。

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