| 武田 |
電波を受ける場所を探すのも苦労されたそうですが。 |
| 向山 |
1年半ほど、テレビのモニターとアンテナ、発電機を持って、このあたりの東、西側の山ほとんどを歩きました。最初は、どこか山の高いところへ行けば、電波が取れるのかな、と思って歩きましたが、結果的に高いところではなく、谷あいの場所で取れましたね。1年ほど過ぎて、いくつかのポイントに絞って、そこから、電波状況の調査をするのに、さらに1年かかりました。 |
| 武田 |
四季によってまた状況が変わってくるんですね―。 |
| 向山 |
怖いもの知らず、テレビ見たさに、ということでしょうね…。そして、受信点からできるだけそのまま持ってこようと、光ケーブルで伊那まで27`。当時、全国で、27`無中継というのは、伊那ケーブルテレビが最初でした。 |
| 武田 |
草分け的存在―。 |
| 向山 |
先輩としては、隣接する諏訪圏にLCV(レイクシティ・ケーブルビジョン)がありますので、困れば行って相談したり、お知恵をお借りしながら。 |
| 武田 |
そうして手作りで仕上げた申請書。これは、例えば外部に依頼すれば、大変お金がかかるものだそうですね。 |
| 向山 |
コンサルティング会社などに依頼すれば、今は3千万円とも聞いています。うちはほどんど手作業で、一番お金がかかったのはコピー代…。 |
| 武田 |
最初に電波を受けて映像が映った時は、どんなお気持ちで―。 |
| 向山 |
モニターテレビが並んでいる画面に一斉に映像がぱっと出た時は、それまでの苦労が報われて、一番感激しました。やはり、地元波に比べれば、東京キー局の映像はきれいではありませんでしたが、見えないものが見える喜びと、それまでやってきた苦労の過程が、その映像の中に含まれて受け取った、というか。万歳しました。 |
| 武田 |
東京のキー局の放送を受信、放送することはもちろんですが、自分たちでも地元から発信したい、という気持ちも最初から。 |
| 向山 |
そうですね。当然、ケーブルテレビの本来の目的「地域情報を担う」ということもありまして。先輩諸氏からは「最初から自主放送はやらない方がいい」「経費がかかって、会社経営が大変」という言葉がありましたが、どうせやるなら最初から自主放送をやろう、ということで、設立当初から自主放送に着手しました。これが、今は大きな柱になっていますし、やってよかったなと思っています。地元にいても「こんなこと、うちの街でやってるの」と知らないことが多かったり…。見ていて、自分でも勉強にもなりますし、地域の会合でも話題になって、うれしく思っていますね。 |