2005年2月25日放送 

平沢豊満箕輪町長 山口一男南箕輪村長 矢田義太郎宮田村長 竹村浩一編集長

特集市町村合併 箕輪町 南箕輪村 宮田村 それぞれの選択@

わたしたちの選択 行政として リーダーとして

合併に向けて大詰めを迎える市町村。一方、自立を選択し、新しいスタートを切った市町村。それぞれに住民と行政との協働という大きなテーマに向かって、歩みを進めている。一住民として、自分の地域をきちんと見据える機会だ。
今回のいなまいニューススタジオは、自立を選択した箕輪町の平澤豊満町長、南箕輪村の山口一男村長、宮田村の矢田義太郎村長をゲストに迎えた。今週と来週の2回にわたり、武田徹キャスター、伊那毎日新聞の竹村浩一編集長とともに、自立選択への思い、これからの町づくり、村づくりについて聞いた。

自立を選んで
武田 自立を決めて、現在の心境は。
平澤 自立を決めて1年以上経ちました。町民の皆さんの参画をいただきながら、新しいまちづくりに向け、強力にスタートができましたので迷うことなく。町の隅々まで熱い血が流れて、「自立してよかった」という町を作りたい―というのが今の気持ちですね。
山口 いくつかの変遷を経て、自立を決定しました。今は、力合わせ、心合わせ、気持ち合わせを前提にしながら、自立に向かって一丸となっていく―という状況です。
矢田 一昨年、自立を決めました。昨年は自立元年と位置付けて、住民参加による協働の村づくりに向けて、さまざまな取り組みをしてきました。課題も見えてきましたし、これからの方向づけも視点が見えてきた―という状況です。自立を決めた以上は、住民の期待にこたえるよう、がんばっていきたいと思っています。
武田 住民の皆さんも、自立という方向で固まっているから、落ち着いているんでしょうね。
竹村 お話をうかがっていると、住民の皆さんの姿も見えてくるようです。

箕輪町の選択
武田 最初、この合併、自立の話が出た時、こういう結果になると(自立を選択)思っていましたか。
平澤 町長に就任したのは、平成14(2002)年11月ですから、ある程度合併の話は出ていました。就任後、住民の皆さんに説明責任を果たす、ということでスタートして―。3分の2が反対という結果になるという雰囲気は(当初は)なかったように思いますね。
武田 ということは説明を聞いて、やはり自立の方がいいんじゃないかと、だんだん変わっていった面も。
平澤 自立したい、という人は割と積極的に出てきますが、合併したい、という人の意見は、沈んでいたのでは、という感じもしますね。
武田 最初から、住民の関心は、かなりありましたか。
平澤 今考えてみると、町内100カ所以上で説明会を開きましたが、そんなに全く身近な問題として考えていなかったのでは、という感じはします。ただ、数量的なものというより、長い間の歴史や文化など、一つのコミュニティを存続させていきたい、という意識が強かったんだな、と思っています。
武田 そして、自立を決断する時期がありました。その時は、どんな心境で。
平澤 住民投票で、3分の2の人が自立を選択―ということでしたので、これはもう合併をせずに、自立をしてよかったなという町づくりを早急にしなけらばならないと、常に前向きに考えて。当時は、全国のいろんなところで合併の話が出ていましたから、自立で本当に大丈夫かな、という気持ちも正直ありましたが、なんとか、自立で良かったという町づくりを進めなければ―というのが当時の心境でしたね。

南箕輪村の選択
武田 山口村長は、こうした結果を予想していましたか。
山口 合併という問題には、抵抗感があるのでは、と最初から思ってはいました。合併するにしても、しないにしても、民意を大切にしなければならないと思っていましたので、それには十分な説明責任を果たさなければならない。そういう中で、多かった意見を集約しながら、その方向に向かっていく必要があるだろうと。
武田 そういう意味では、住民投票によってはっきりと結果が出てきますね。その方が、やりやすい、ということ。
山口 リーダーシップという言葉はありますが、民意を尊重しなければと。

宮田村の選択
武田 宮田村では、最初から、合併しないという雰囲気が強かったように思いますが。
矢田 以前から、自立心が高い村民の風潮は意識していましたから、自立を選択する結果はある程度予想していました。今回の市町村合併は、地域のそれぞれの事情があるわけです。宮田村の場合は、昭和の大合併の時、行政主導の合併をして、その後分かれたという歴史的経過があります。今回の合併は、国の押し付けや行政主導型ではなくて、あくまで住民の意思を尊重して、その前に自分の村をよく見直してもらう。そして、一人ひとりが合併か否かを判断してもらう。そのための情報提供を果たした後で、なんらかの形で住民の意向を聞いて、それを尊重しようということで。
武田 過去の経験があったこともあって、最初から住民の関心は高かったようですね。
矢田 今回の合併問題について、過去にはこだわらないと思っていましたが、分市した後、住民がまとまった―という村民性を感じていましたから、それが自立につながったのではないかと分析しています。

リーダーとしての悩み・決断
竹村 共通しているのは、住民の意思を尊重されたということですね。取材を通じて感じることは、それぞれ内面では、不安もあったのではないかと思います。例えば、南箕輪村、宮田村では、財政的な不安も。
山口 そうですね。不安は深刻にありました。戦後を振り返ってみた時、あの劣悪な日常環境、社会整備を、住民は村へ、村は県へ、県は国へ、国は赤字国債を発行して、国民にこたえてきた。しかし、今日的な状況の中では、これからは、これは続かないということは誰しも想像できるわけです。これから、そのあたりをどう住民が理解しながら、支え合いをする地域づくりをしていく気持ちが出るのか出ないのか―。そうした意識の変革を求める時代だということは訴えてきました。そこが、不安だったところでした。
平澤 私自身、長い間、民間にいましたので、合併と自立のシミュレーションをした時、財政的にはかなり足りない部分が出てくる。しかし、民間では年間10%ぐらいの合理化は常にできてくるんですね。収入と支出の差が10%ぐらいであれば、皆でシステムを変えていけば、当然いいものができる。しかも、長年、戦後の復興の中で、行政の仕組みが完全に制度疲労をきたして、700兆円もの借金ができてしまった。したがって、過去の延長線上には正解はない、同じことをやっていたのではだめなので、全く新しい発想でこれから切り替えていこうと。平成16年度、1年間かけて、町民の皆さんにできるだけ参加いただいて、新しい今後10年間の振興計画を、地域に根ざしてスタートしていこうとしているところです。それから、地域は地域の住民の皆さんが作るんだ、という思想は、町の中に出てきていると思っていますね。例えば、お年寄りの皆さんがマレットゴルフのクラブハウスを作ってほしいという要望がありました。材料費だけ出してもらえれば、あとは仲間に大工も板金屋もいるから、と。それで、おそらく300万円ほどかかるところ、80万円ほどでできてしまいました。そういうケースが、いろんな場面で出てきています。住民主体で、行政はそれをバックアップする―という考え方を浸透させたいと思っています。これからは住民参加を前提に町づくりをしていかなければいけないと。
矢田 市町村合併が急浮上した時、その時点で、今の宮田村をどう思っているかを多くの項目で調査をしました。その時点ですでに、合併反対が賛成の倍という状況でした。首長の立場としては、先輩たちが築いてきたこの村を、数字だけでこの是非を判断していいのか、そのあたりが非常に悩んだところ、苦渋の選択というところになります。とはいっても、決断しなければなりませんから、私自身としては、やるべきことはやった後の結果だということで、迷いもなく決断しました。
竹村 当時、矢田村長は、非常に慎重な姿勢だったという印象があります。
矢田 合併するか、しないかを冷静に判断していただくための情報提供ですね。その中で、住民の皆さんは、自立なんだから、リーダーとしてはっきり言ってほしいという声もありました。でも、私自身、リーダーシップが行政主導につながるような合併はしたくないと思っていました。住民の皆さんから見れば、はっきりしないという声もあったかもしれませんが、意思表示をしなかったのが意思表示だったと。今になれば、そのあたりも理解してもらっているのではと思っています。
竹村 結果的には、行政も、議会も商工会も住民も―強固な一枚岩になったという印象がありますね。
矢田 車の両輪として、協力体制が築いていけるのではと思っています。

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