| 武田 |
最初、この合併、自立の話が出た時、こういう結果になると(自立を選択)思っていましたか。 |
| 平澤 |
町長に就任したのは、平成14(2002)年11月ですから、ある程度合併の話は出ていました。就任後、住民の皆さんに説明責任を果たす、ということでスタートして―。3分の2が反対という結果になるという雰囲気は(当初は)なかったように思いますね。 |
| 武田 |
ということは説明を聞いて、やはり自立の方がいいんじゃないかと、だんだん変わっていった面も。 |
| 平澤 |
自立したい、という人は割と積極的に出てきますが、合併したい、という人の意見は、沈んでいたのでは、という感じもしますね。 |
| 武田 |
最初から、住民の関心は、かなりありましたか。 |
| 平澤 |
今考えてみると、町内100カ所以上で説明会を開きましたが、そんなに全く身近な問題として考えていなかったのでは、という感じはします。ただ、数量的なものというより、長い間の歴史や文化など、一つのコミュニティを存続させていきたい、という意識が強かったんだな、と思っています。 |
| 武田 |
そして、自立を決断する時期がありました。その時は、どんな心境で。 |
| 平澤 |
住民投票で、3分の2の人が自立を選択―ということでしたので、これはもう合併をせずに、自立をしてよかったなという町づくりを早急にしなけらばならないと、常に前向きに考えて。当時は、全国のいろんなところで合併の話が出ていましたから、自立で本当に大丈夫かな、という気持ちも正直ありましたが、なんとか、自立で良かったという町づくりを進めなければ―というのが当時の心境でしたね。 |
| 竹村 |
共通しているのは、住民の意思を尊重されたということですね。取材を通じて感じることは、それぞれ内面では、不安もあったのではないかと思います。例えば、南箕輪村、宮田村では、財政的な不安も。 |
| 山口 |
そうですね。不安は深刻にありました。戦後を振り返ってみた時、あの劣悪な日常環境、社会整備を、住民は村へ、村は県へ、県は国へ、国は赤字国債を発行して、国民にこたえてきた。しかし、今日的な状況の中では、これからは、これは続かないということは誰しも想像できるわけです。これから、そのあたりをどう住民が理解しながら、支え合いをする地域づくりをしていく気持ちが出るのか出ないのか―。そうした意識の変革を求める時代だということは訴えてきました。そこが、不安だったところでした。 |
| 平澤 |
私自身、長い間、民間にいましたので、合併と自立のシミュレーションをした時、財政的にはかなり足りない部分が出てくる。しかし、民間では年間10%ぐらいの合理化は常にできてくるんですね。収入と支出の差が10%ぐらいであれば、皆でシステムを変えていけば、当然いいものができる。しかも、長年、戦後の復興の中で、行政の仕組みが完全に制度疲労をきたして、700兆円もの借金ができてしまった。したがって、過去の延長線上には正解はない、同じことをやっていたのではだめなので、全く新しい発想でこれから切り替えていこうと。平成16年度、1年間かけて、町民の皆さんにできるだけ参加いただいて、新しい今後10年間の振興計画を、地域に根ざしてスタートしていこうとしているところです。それから、地域は地域の住民の皆さんが作るんだ、という思想は、町の中に出てきていると思っていますね。例えば、お年寄りの皆さんがマレットゴルフのクラブハウスを作ってほしいという要望がありました。材料費だけ出してもらえれば、あとは仲間に大工も板金屋もいるから、と。それで、おそらく300万円ほどかかるところ、80万円ほどでできてしまいました。そういうケースが、いろんな場面で出てきています。住民主体で、行政はそれをバックアップする―という考え方を浸透させたいと思っています。これからは住民参加を前提に町づくりをしていかなければいけないと。 |
| 矢田 |
市町村合併が急浮上した時、その時点で、今の宮田村をどう思っているかを多くの項目で調査をしました。その時点ですでに、合併反対が賛成の倍という状況でした。首長の立場としては、先輩たちが築いてきたこの村を、数字だけでこの是非を判断していいのか、そのあたりが非常に悩んだところ、苦渋の選択というところになります。とはいっても、決断しなければなりませんから、私自身としては、やるべきことはやった後の結果だということで、迷いもなく決断しました。 |
| 竹村 |
当時、矢田村長は、非常に慎重な姿勢だったという印象があります。 |
| 矢田 |
合併するか、しないかを冷静に判断していただくための情報提供ですね。その中で、住民の皆さんは、自立なんだから、リーダーとしてはっきり言ってほしいという声もありました。でも、私自身、リーダーシップが行政主導につながるような合併はしたくないと思っていました。住民の皆さんから見れば、はっきりしないという声もあったかもしれませんが、意思表示をしなかったのが意思表示だったと。今になれば、そのあたりも理解してもらっているのではと思っています。 |
| 竹村 |
結果的には、行政も、議会も商工会も住民も―強固な一枚岩になったという印象がありますね。 |
| 矢田 |
車の両輪として、協力体制が築いていけるのではと思っています。 |