2004年11月27日放送 

マツタケ博士 藤原儀兵衛さん

マツタケ名人がつくるマツタケ "いい里山"を伊那谷に残したい

マツタケとともに半世紀 マツタケを守ることは里山を守ること

秋の伊那谷はマツタケの季節。マツタケを採るだけではなく、里山を手入れすることでマツタケ山を守っているのが伊那市新山の藤原儀兵衛さん。子供時代にマツタケに出会い、マツタケ一筋半世紀。「カラスが鳴かない日はあっても、山に上がらない日はない」というほど手間をかけて育てたマツタケ山からは、今もたくさんのマツタケが採れるという。
今回のいなまいニューススタジオは、藤原さんのマツタケ山を訪れ、マツタケと里山のかかわりを聞いた。
伊那市新山のマツタケ山で。武田キャスター(左)と藤原さん

藤原儀兵衛さん
長野県林業指導林家。上伊那農業委員会協議会まつ茸博士。
マツタケとの出会いは子供時代。秋になると、家族が食べるためにマツタケを採るのが日課だったという。その後東京の築地市場で貨車1両分の大根と大ざる2杯のマツタケが同じ値段だと知り、本格的にマツタケの道に入る。マツタケが生える環境を維持するため、里山の整備にも力を入れ、今ではマツタケ博士として全国で指導している。
荒れていた私有林を借り受けて一般から募集したオーナーに貸し出し、マツタケ山として手入れをしてもらう富県グリーンツーリズムの発足にも尽力。
2002(平成14)年には長年の功績が認められ、農林水産大臣賞を受賞。04年には伊那市制50周年を記念して産業功労賞も受賞した。
畑では、マツタケ山から下ろした柴を使って、野菜の有機栽培も営む。
伊那市新山在住。66歳。

マツタケよりサンマが貴重だった
武田 今日は久しぶりにマツタケを採らせていただきました。私は歩いていても分かりませんでしたが、藤原さんはすぐに分かりましたね。さすがプロフェッショナル。匂いがするんですか。
藤原 匂いがしますね。もう秋ですから。
武田 生えている場所も分かるんですね。長年の勘ですか。
藤原 毎年同じ場所に出てきますのでね。
武田 何年ぐらい、山の管理をされているんですか。
藤原 山を這って歩いて、もう少しで半世紀ですよ。
武田 ここは這って歩くぐらい急傾斜なところですからね。這って歩いて50年。しかもマツタケ一筋ですか。すごいですね。広さはどれぐらいですか。
藤原 借地林が50fぐらい。自分の山が10fちょっとあります。
武田 昔から、ここはマツタケがたくさん採れた場所ですか。
藤原 小学生のころはかなり採れていましたが、それから切りまして、今は2代目の森です。
武田 小学生時代というと50年以上前ですが、当時は、もっとありましたか。
藤原 そうですね。町が遠くて売ることはできない時代でしたからね。加工して佃煮にしたり、みそ漬けにしたりして食べていました。サンマを三切りにして、1年に2度ぐらいしか食べられませんでした。
武田 マツタケを食べることは、贅沢とは思っていなかったと。
藤原 贅沢ではありませんでした。サンマの三切りの方が貴重でしたね。

築地で知ったマツタケの価値
武田 どういうきっかけでマツタケをやろうとしたのですか。
藤原 経営伝習農場に行っていたとき、場長から「売る方から勉強したらどうだ」と言われ、昭和29(1954)年に築地市場に行ったんですよ。そのとき、広島からマツタケ列車が入ってきたのを見て、「うちの方にはマツタケなんか、たくさんある」と、この道に入りました。
武田 当然、値は良かったでしょう。
藤原 野菜に比べると当然、良かったですね。
武田 そこでマツタケをやろうと。
藤原 マツタケは、自分の近くにたくさんあるからやってみようかなと。
武田 昭和30年代は“三種の神器"をはじめ電化が始まり、農村や山村から若い人たちが町に出ていく時代でしたでしょう。そんな中で、あえて山に残ると。周りの方は反対しませんでしたか。
藤原 反対はしなかったんですけどね。しかし、親父が大事に育てたヒノキ山を痩せたマツ山と交換したときは「頭がおかしかねぇか」と言われたこともあったんですよ。

【マツタケ山の管理】
藤原さんが管理するマツタケ山。マツタケが生える場所は「シロ」と呼ばれる。シロはアカマツの根の成長に合わせて馬蹄形に広がっていくため、根が伸びるのが早いと、それだけ早くシロが終わってしまう。栄養源となる落ち葉を掃除し、枝打ちで適度な光を浴びせることで根の成長をコントロールし、長期間にわたってシロを維持している。管理の基本は“あせらずゆっくり"。マツタケは環境の変化に弱く、急激な枝打ちや下草刈りはかえって悪影響を及ぼす。
「30年かかって荒れた山をマツタケ山に戻すには30年かかるよ」と藤原さん。マツタケの出来を左右する天候も、ハチの動き、カマキリの巣、鳥の行動などを見れば天気予報よりも正確に分かるという。

里山の荒廃とマツタケ
武田 当時は、マツタケが採れなくなった時期ですよね。
藤原 昭和30年ごろから、山の中のこの地区にもプロパンガスが入って来てね。ガスが入り、化学肥料が入ってきて、焚き物も山の柴もいらなくなり、山はどんどん荒れていく時代になりましたね。
武田 それまでは燃料や肥料を得るためにみんなが山に入っていて、山の手入れがされていたんですね。
藤原 それに里山は定期貯金代わりで、いざというときは木を売ればいい―と、大事に育てていた時代ですから。
武田 それが昭和30年代に入り、山に人が入らなくなってしまったんですね。
藤原 山に人が入らなくなり、今の経済状況の中で、日本の森は完全に置き去りにされた。経済から取り残されてしまった。
武田 藤原さんも、山が荒れていくのを見て、悲しい思いをされたのでは。
藤原 経済成長の中で「山を手入れしないか」と言っても、相手にしてくれないんですよね。
武田 最近になって「里山を大事にしよう」という風潮が多少出てきましたが。
藤原 15年前から言っていたんですが、私のような無学な人間が言っても犬の遠吠えですよ。だから肩書のある偉い方たちが、こういう風になる前に、山の重要性を強調しなければいけなんだと思うんですよね。
武田 最近は台風が来ると、土石流などの災害が起こりますが、山の手入れと関係があると思いますか。
藤原 山を放置したツケが来ているのではないかと思っています。水や空気の交換のために森が大事なことはみんな知ってるから、お金がないと言うんでなくて、森を守る特殊な税金も必要だと思うんですよ。
武田 ここは本当に気持ちいいですもんね。藤原さんは町に行くと空気が悪くて呼吸困難になるとか。ここでいい空気を吸っていると、町の空気は汚れていますか。
藤原 カラスが鳴かない日はあっても、私が山へ上がらない日はないというぐらい、仙人のような生活ですからね。町に行きますと排気ガスの臭いが鼻についちゃうんですよ。

【上伊那はマツタケの好適地】
「マツタケは19度から15度の地温の時に一番出ます。上伊那はその期間が一番長いんです。いい松林もありますし、温度的にも地形的にも恵まれています」(藤原さん)

マツタケ山のこれから
武田 若者が山に入って食べていくのは難しいですか。
藤原 そうですねえ。山で食べていくのは難しいですね。木が売れませんから。
武田 マツタケ山の手入れをしようと思っても、すぐにできるものではないみたいですね。
藤原 すぐにはできないけれど、富県のグリーンツーリズムで、荒れている山林をなんとかしようと、マツタケ山オーナーを募集したんですよ。今年は2年目ですが、1年目は20区画に対して326人が応募しました。それだけ人気があり、みんな真剣に山を手入れしています。
武田 では、昔に比べると多少は状況が良くなりつつあると。
藤原 良くなる感じはしております。
武田 藤原さんがやっている仕事は子供さんが継ぐんですか。
藤原 嫁が山が好きでね。継ぐようになっていけばいいなと思っていますけどね。
武田 山に這いつくばると表現されていますが、結構きつい仕事でしょう。
藤原 そうですね。まあ、好きでなきゃできないね。やっぱりね。

マツタケ博士からのアドバイス
@水道水で洗わないカルキが入った水につけただけで香りが半分なくなってしまう。水道水を沸かすか、一晩くみ置きしてカルキをとばしてから使うといい。
A包丁は使わない金属で切っても香りが減る。包丁で切らずに手で裂くのが一番。
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