2004年11月13日放送 

田楽座座長 松田満夫さん

歌舞劇団田楽座 創立40周年
土の香 人の情 ふるさと をこよなく愛して

現代の田楽法師になりたい 創立40周年を迎えて

創立40周年を迎える「歌舞劇団田楽座」。かつて、田植えをする早乙女たちを鼓舞するために、あぜの上で舞い踊ったという田楽法師からその名をとり、以来、農や自然に根ざした民衆の心から沸き起こる芸能にこだわり続けている。芸能の宝庫とも言われる伊那谷を拠点に、全国各地で公演を重ね、今月19日、県伊那文化会館で40周年記念公演をすることになった。
今回のいなまいニューススタジオは、田楽座の松田満夫座長をゲストに迎え、田楽座の歩み、伝統芸能のこころに迫った。
写真:武田徹キャスター(左)と松田座長(田楽座稽古場で)

松田満夫さん
田楽座の座長。ユーモラスな仕草で舞い踊る「とりさし舞」や、その美声でも知られる。
「日本にはたくさんの神様がいる。それをみんな許し、さらに、そこに文化をつくり出すんですね」と、日本古来からの農や暮らしに根ざした民俗芸能の魅力を語る。
「でもね、やってる本人たちが一番おもしろいんですよ」と笑いながら、40周年節目の公演を待つ。

田楽のルーツ
武田 田楽のルーツは、どんなところに。
松田 日本では古くから、早乙女が田を植え、あぜ道では男たちが笛を吹いたり、太鼓を叩いたり、鐘を打ったり―応援していたわけです。それが田楽のもとになりますね。平安時代の前ごろでしょうか。それがだんだん、田楽をやっていた人たちが専門化して、田楽法師と呼ばれる集団ができてきました。当時は、お坊さんになると税金がかかりませんでしたから、みんな法師とつけたようですね。
武田 そしてプロ化して、田楽が能や歌舞伎に…。
松田 そうですね。田楽をこちらの村でやり、あちらの村でやり―ということをやっていって、こちらの芸能をあちらに伝えたり、新しい芸能をつくり出したりする。それが、能や歌舞伎や狂言のもとになっていくわけですね。現代の田楽法師になろうと「田楽座」と名づけました。長野県の芸能、特に下伊那の芸能をたどっていくと、やはり「田楽」に行きつく。「田楽」っていうのはいいなあ、と思いますね。

労働や暮らしとともにある芸能
武田 結成当時は、どんなふうに。
松田 はじめは、歌や踊りが好きな信州大学の学生が各地で公演していました。なんとかプロになりたいと、秋田県にある「わらび座」に研修に行きました。当時、「わらび座」では、中国やベトナムなどへ公演して歩いていたんですね。そこでは、民族歌舞をとても大事にしている。特に地方に行くと、小さな歌舞団がたくさんある。それで、日本に帰ってきて「日本もそうしよう。各県に一つずつ歌舞団をつくっていこう」と。それで、長野県に、ということになったわけです。
武田 結成された昭和39(1964)年当時、若者たちは西洋音楽に向かっていた時代ですね。そちらへ行かずに、伝統、地元のものに目を向けるというのは、とても勇気が必要だったように思います。
松田 一方では、民俗意識が高揚した時期でもありましたから、日本の古くからの伝統芸能を大事にしていこう、という気運もありました。
武田 特に伊那谷、下伊那地域は民俗芸能が盛んですね。これはやはり、農業とともに大切にされてきたんでしょうね。
松田 そうですね。やはり田植えをやる時には田植え歌、草刈りする時には草刈り歌―というように、労働や暮らしとともに芸能があったわけですよね。
武田 そういう芸能を残そうと、田楽座に若者が集まったというのは、大きなことですね。
松田 当時は、農村から都会へ、都会へと若者が流れていった時代です。そんな中で、「本当はこっちのほうが大事なんだ」と論議したことを覚えていますね。
武田 始める時は、誰かに教わらなければなりません。どんなふうに。
松田 私自身は大町市の出身ですから、田楽座に入る前に地元の祭りで笛を吹いたりはしていました。それと歌が好きで、合唱団に入って歌ったりもしていました。ところが田楽座に入ってみると、途端に「民謡発声は違う」と言われたわけです。そう言われても、教えてくれる人はいませんから、裏山に登って発声を練習したりしました。一番勉強になったのは、東北へ勉強に行ったことですね。民謡教室にお世話になったりしながら、これだ、というものをつかんでいったわけです。
武田 ほかに笛や太鼓、踊りもありますね。やはり全国の祭りを取材して―。
松田 そうですね。どこかの芸能がいいよ―と聞けば皆で出かけて、手取り足取り教えていただいて。芸能だけでなくて、その芸能が発生した土地、自然の状態、歴史なども学んでくるわけですね。

40周年記念公演に向けて、けいこに熱が入る座員たち

あぜ道に腰かけて見てくれた思い出
武田 「田楽座」の活動が始まったころ、公演は順調でしたか。
松田 大変でした。名前すら知られていませんから、中には「おでんの講習会やるのかぇ」と言われたり…。ある時、阿智村へ出かけた時、田植えをしている皆さんに「○時から公民館の前でやるから見に来て」と呼びかけたところ、泥足でやってきてくれ、田んぼのあぜ道に腰かけて見てくれたこと。今も忘れません。そういうことをずっとやってきましたね。10年ぐらいしてようやく軌道にのったでしょうか…。
武田 例えば、松田さんは一人で何種類ぐらいを。
松田 笛、尺八、歌、踊り…。
武田 ほかの皆さんも、何種類もの楽器や踊りを。
松田 そうですね。だいたい4種類ぐらいはやりますね。田楽座に入ると1年の研修期間がありますから、その間に基本的な歌、踊り、体づくりなどを学んでいきます。現在の座員は13人、そのうち演技者は9人です。
武田 この40年間、田楽座から巣立っていった仲間たちも、たくさんいるでしょう。
松田 そうですね。各地で、それぞれがんばってくれているので、うれしいですね。
武田 舞台の出し物も、この40年間で変わってきましたか。
松田 最初は「わらび座」で研修を受けたこともあって東北の芸能が多かったですが、そのうちに長野県内を歩いて、長野県の芸能を取り入れるようになりました。県内を回っていると、歌や踊りだけでなく、芝居をやってくれ―という声もあるんですね。長野県は特に地芝居や歌舞伎、文楽などがあって、昔から芝居が好きだったんでしょうね。本格的な芝居をやったこともあります。また、田吾作バンドと名づけてバンド演奏をやった時期もありました。いろいろやってきましたが、根っこには民俗芸能をすえてやってきたなあと今思いますね。

農業から学ぶもの 自然から学ぶもの
武田 田楽座をつくった当初、農業を手伝ったりも。
松田 農業体験がある座員が少なかったんですね。それで、養鶏や果樹、稲作など、働きに行って、その仕事の内容を覚えて―。せめて田植えと稲刈りだけはやろうと、今も体験できるようにしています。やはり、田植えの時に泥に足を入れる―あの感覚を知っているのと知らないのとでは違いますから。それが大事なんですよね。
武田 祭りにもいろいろありますが、今の祭りは、どちらかというと物を買わせようという発想からのものもあります。田楽座の祭りのルーツは、収穫の喜びなど、本当の祭り。これから子どもたちにも何か伝えていきたいものは―。
松田 ある調査で、日の出と日の入りを見たことがない子どもが50%以上だったそうです。やはり自然を体験することの大切さ、そこから学ぶことの大切さ―。私たちの世代は自然から学んだことがとても多かったわけですよね。
武田 田楽座を通して、日本の過去、郷土はどうだったんだ、ということを知るきっかけになるといいですね。40周年を迎えて、これからは、どんなふうに。
松田 今までやってきた民俗芸能を、より多くの人に広めていきたいですね。今、実際に太鼓や踊り、笛をやろうとする人が増えています。日本の芸能は今、見直されてきています。

田楽座
1964(昭和39)年創立。農家で間借り生活をしながら、芸能活動を始めた。地元の古老などから、手取り足取り芸能を教わり、そのこころを忠実に再現しながらオリジナルの舞台を完成させてきた。現在、公演は保育園、小中学校、地域でのイベントなど、それぞれプログラムがある。全国各地に根強いファンがおり、毎年開催される太鼓や踊りの講座も人気。
伊那市富県
0265・78・3423


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