2004年6月19日放送 

ホタル研究家 勝野重美さん

〜辰野町松尾峡 全滅したホタルが水路に甦るまで〜
蛍の研究50年 小さな光を追い求めて…

ホタルの住処とわたしたち ともに歩んだ50年

ホタルの里として全国に知られるようになった辰野町松尾峡。しかし、今から約40年前、松尾峡のホタルが減少し、ほとんど見られなくなった時代がある。原因としては、諏訪湖の水質悪化や私たちの生活の急激な変化などが考えられるが、一度いなくなってしまった自然の恵みを復活させることは容易ではないと思われた。
そこで立ち上がったのが、当時、辰野高校で生物を教えていた勝野重美さんだ。生物クラブの生徒たちと地道な研究を重ね、町の協力を得ながら、10年がかりでホタルを復活。その活動の理念は、現在、町に引き継がれ、町ぐるみでホタルの里を守る取り組みは続いている。
今回のいなまいニューススタジオは、勝野重美さんをゲストに迎え、復活までの道のり、ホタルと共存できる自然環境などについて聞いた。

勝野重美さん
ホタル研究家。元高校教諭。辰野高校時代、生物クラブでホタルの研究を始め、一度はほとんど見られなくなってしまった辰野町松尾峡のホタル復活に尽力。約50年間、ホタルにかかわり、辰野町ではホタルの先生として親しまれる。現在では、ホタルの養殖や水路の改修などにより、松尾峡では毎年ホタルが乱舞。全国にホタルの里として知られるようになった。
ホタル養殖に批判もあったというが、勝野さんは「何もしないことが自然ではない。人間が壊してきた面も多いわけですから、私たちのやるべき仕事はあります」。
75歳。辰野町在住。

蛇行した水路に住むゲンジボタル
武田 松尾峡は山と天竜川にはさまれた場所。こういう環境はホタルにとっていい環境と言えますか。
勝野 そうです。諏訪湖の水がここへ流れてきますので、その水質が、いろんな水生生物を育ててきたわけです。
武田 辰野のほたるまつりが有名ですが、昔からたくさんホタルがいたそうですね。
勝野 こういう地形ですから、昔のほうが多かったですね。大正時代に県の天然記念物に指定されていますが、全国的に見ても大正時代に指定されて、今も残っているものはほとんどありません。
武田 ここは、ホタルが発生しやすい条件がそろっているということですね。
勝野 ここから伊那谷の水田地帯が始まるわけです。その水田に水を流す用水路が、とても安定したホタルの住み場所になります。昔は、天竜川の川幅が広くて、蛇行して流れていましたから、天竜川にも、たくさんホタルがいました。
武田 松尾峡では水路を蛇行させている場所がありますね。理由は―。
勝野 ゲンジボタルの場合は、流れの中に住みます。餌になるカワニナもそうです。それで、蛇行させて水路面積を広くして、ホタルたちの生活空間を広げているわけです。
武田 流れの中に住むホタルは、とても珍しいそうですが。
勝野 世界には2千種類のホタルがいますが、水中で生活するものは数種類。しかも、特に流れに住むものはゲンジボタルなど、ごく限られた種類しかいません。
武田 水路の下には石が敷いてあって、側面も石積みになっていますね。これもホタルのための工夫―。
勝野 川底には石灰岩の砕石を敷いてあります。カワニナを育てるためのものですね。カワニナは貝殻を作るので、カルシウムが必要になるんです。おまけに、日本の場合は火山列島ですからカルシウムが非常に少ない。ですから、石灰岩を敷いてやるわけです。
武田 泥を嫌うとも聞きましたが―。
勝野 石を積むとどうしても泥が溜まりやすくなります。泥が溜まると酸素不足になりやすいので、カワニナやホタルの幼虫が住めなくなってしまうんですね…。

●ホタルの一生
6月下旬、水際のコケに産卵。勝野さんの研究によると、1900個の卵を産んだ例もある。約1カ月後の7月下旬、孵化して水の中へ。孵化した幼虫の大きさは約1・5_。餌はカワニナ。越冬し、4月の下旬、光りながら幼虫が上がってくる。
辰野町では、その光りながら上がってくる幼虫を毎年数えて、成虫の発生を予測している。ホタルの寿命は、野外では約1週間。室内で飼うと平均2週間。
写真:ホタルが乱舞する松尾峡の夜(撮影・辰野町)

食物連鎖を復活
武田 昔はホタルが乱舞していた松尾峡。ホタルが少なくなってしまった時期もありましたね。
勝野 諏訪湖の周辺が発達して、生活雑排水や工場の排水などが流れるような時代に変わってきてしまったわけですね。河川も堤防を築いて川の部分を圧縮してあります。こういう条件を変えてきたということです。
武田 勝野さんがホタルの復元に取り組み始めたのは、いつごろからですか。
勝野 ホタルそのものに取り組み始めたのは昭和30(1955)年ですから、ちょうど今年で50年になります。辰野町と一緒に松尾峡に蛇行する水路などを作り始めたのは、30年ぐらい前からになりますね。
武田 ホタルだけを復活するというより、全体の環境が整わないと難しいでしょうね。
勝野 そうなんです。カワニナにしても、カワニナの餌が必要になります。カワニナは石につく珪藻を食べますが、昔のように農家の人たちが草を刈るとか、山から薪を取ることもなくなって水路に陽が当たらなくなって、珪藻がつきにくくなって…。ですから、今は人間が管理をして、草刈りをしたり、適当に木も切ったり―。成虫になると、昼間の隠れ場所として木が必要になりますが、成長する段階では、よく陽が当たって珪藻が育ってカワニナが育って、ホタルが育つ―という食物連鎖がきちんとできるようにするわけです。
武田 大正時代は人間も小動物も含めた食物連鎖が機能していたけれども、それを壊してしまったから、人間がある程度もとに戻さなければいけない―ということですね。

ホタルのために改修した蛇行水路(松尾峡)

松尾峡水路前にて

松尾峡のホタル復活の歴史
昭和30年(1955) 勝野さんと辰野町ホタル養殖の研究を始める。
辰野高校生物クラブでも活動開始。
昭和35年(1960) この頃からホタルの減少目立つ。
松尾峡のホタルが長野県天然記念物に指定される。(再指定)
昭和40年(1965) 水路のホタルがほとんど見られなくなる。
昭和45年(1970) 諏訪湖の水質悪化深刻に。
大沢の清水を上堰の用水路に入れる。
昭和48年(1973) 最初の養殖水路完成。(休耕田)
昭和50年(1975) 養殖水路一帯でホタル大発生。
昭和54年(1979) 松尾峡の上堰の用水路改修。休耕田に第一専用水路。
昭和56年(1981) 過去最高の発生みられる。
昭和59年(1984) 第二専用水路完成。
昭和62年(1987) 大堰用水路改修。
平成元年〜7年 ほたる童謡公園(平出側)4.46ha整備
平成10年〜15年 ほたる童謡公園(下辰野側)4.49ha整備
昭和62年以降も水路整備は進められ、現在松尾峡水路総延長は3246m
武田 昭和40(1965)年、ホタルがほとんど見られなくなった。そのころ、松尾峡のホタル復活が本格的に始まったということですね。
勝野 用水路で調べたところ、3年間で3分の1ぐらいに幼虫が減っていました。昭和30年に松尾峡で見たホタルは本当に素晴らしいものでしたから、減ってきたことを知って復活に意欲を感じて―。
武田 昭和45年に大沢の清水を用水路に。地元の反対はありませんでしたか。
勝野 どうしても、沢の水を入れると用水路の水温が下がってしまうので、農家にとっては不利益なんですが、地元の人たちは協力してくれて実現できました。
武田 大発生が昭和50年。10年がかりで成果が上がったということですね。
勝野 最初に水路へ水を入れた後、幼虫が上がってくる数を調べたり、カワニナの数を調べたところ、だいぶ増えたことがわかったので、休耕田を利用して養殖の水路に。
武田 たとえば、今の状態をもっとよくするには―。
勝野 ふだんの手入れをきちんとすることですね。同じ草でも成虫の時には大事な昼間の隠れ場所になりますが、幼虫になるとカワニナや珪藻が育つ日当りが必要―。季節ごとに管理をしていくことが大事です。ホタルの光は弱いもので、月明かりでも飛ぶ数が少なくなるとも言われます。木を植えて人工の光を遮る配慮必要でしょうね。
武田 ホタルを復活させる時、ホタルはどんなふうに集めて―。
勝野 町の中の水路を丹念に歩きました。だいたい水際のコケに産卵していますから、水路の上流から下流に向かって歩いてメスを集めて産卵させて…。昭和30年代、1シーズン300万匹のホタルが飛んでいたという東京の椿山荘にお願いして、こちらからコケを持っていって、そこに産卵してもらう方法で集めたりもしました。
武田 今の自然環境を見ていて、どんなことを感じますか。
勝野 人間はいろんな生活の利便性を求めて、生活が豊かになってありがたいことですが、やはり自然のものとも共存できるような社会づくりも必要だと思いますね。ただ、用水路を土側溝に戻すことなどは簡単にできる時代ではありませんから、いきものに配慮した工法を作り出していかなければと思っています。


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