2003年12月6日放送 

北原郁夫さん 吉澤政己さん

シリーズ かやぶき民家のある風景 かやぶき職人はいま

茅葺屋根を支え続けて 縄文の時代から守り伝えられる文化

伊那市東春近の民家で、さきごろ茅葺(かやぶき)屋根の補修作業がおこなわれた。この民家は、今から約300年前、元禄時代に建てられたとされ、今回の補修は、老朽化した一部分。作業にあたったのは、一昨年、35年ぶりに茅葺屋根の職人に返り咲いた北原郁夫さんら5人だ。そこには、なんとか茅葺屋根の民家を残したい、そのために職人や茅の提供を継続的に続ける活動を展開する吉澤政己さん(NPO法人信州伝統的建造物保存技術研究会副理事長)の存在があった。
過去の遺物、珍重される存在としてではなく、日本伝統の技術やたたずまいを今もなお我々に伝え、縄文の時代からつながる文化の一端に在るものとしての「茅葺」。今回のいなまいニューススタジオは、茅葺職人の北原郁夫さん、支える吉澤政己さんをゲストに迎え、茅葺屋根の現状、これからなどについて聞いた。

北原郁夫さん
22歳で茅葺職人に。しかし、茅葺屋根の減少などで仕事が少なくなり、昭和41(1966)年、企業に就職、職人の現場を離れた。しかし、一昨年、吉澤さんに請われ、再び屋根へ。35年ぶりの現場復帰だったが「腕は衰えていなかったね」。70代、80代の職人仲間とともに、伊那谷、諏訪地方などにも出かけて職人技を見せている。伊那市富県。76歳。

吉澤政己さん
1990年、信濃建築史研究室開設。行政などからの依頼を受け、長野県内の貴重な民家群などを調査し、資料として残している。また、NPO法人信州伝統的建造物保存技術研究会に参画し、職人の技の伝承、民家の保存活動などを継続的に行っている。工学博士。伊那市富県。49歳。

茅と職人を確保したい
武田 茅葺の家を残したいと思っても、職人がいないとできませんね。
吉澤 今は、茅の入手と職人の問題、その両方で不足気味―ということです。我々が立ち上げたNPOで茅を販売することをしています。茅の販路をつくるということと、修理する人に提供できることを進めているところですが―。
武田 今、茅を採る茅場という場所も少なくなりましたね。
吉澤 昔は集落ごとにあったはずですが、そこが水田に替わったりして、今、きれいな茅場という場所は、ほとんどなくなりました。
武田 北原さんが若いころは、たくさん茅場があったでしょうね。
北原 茅場ばかりでした。毎年刈って、何十締め〔一締め〓二間縄、約3・6b〕も作って。茅場はあまり肥えているとだめなんで、痩(や)せた土地にあったものです。痩せているほうが茅の目が詰まってくるんですね。それから、(肥えた土地で育ち過ぎると)雪が降ると曲がってしまうこともあります。
武田 茅場を作ることから始めないと復元できませんね。
吉澤 そうなんです。今は、茅があるところを探して、その土地の所有者を探して許可を得て刈る―という作業なので、集めるのにかなり労力がかかっているわけです。1カ所にきれいに整備された茅場があれば、刈り取りも楽ですし、量の確保も容易だと思うんですが…。
武田 昔は、茅葺の家がたくさんあったそうですね。
北原 どこの集落に行っても、ありましたね。
武田 22歳から茅葺屋根の職人をやって、途中でやめたということは、茅葺屋根の家がなくなってしまった―ということですね。
北原 そうです。昭和37(1962)〜38年ころから、国で補助をして改築を進めましたから。そういう時代があって、昭和43年に勤めに出ることにしまして。
武田 昔、職人になるころには、誰か親方について教えてもらったということですか。
北原 はい。3年間弟子で、次の1年間は奉公、ということで、約5年かかって一人前と言われました。
武田 北原さんには弟子はいたんですか。
北原 いません。今になって、弟子が欲しかったなと思いますね。でも、なる人がいない―。
武田 茅葺屋根の作業を一緒にしている仲間は、どんな方々ですか。
北原 以前に交流した人などで、80歳になる人もいます。仕事がどんどんあれば若い人も入ってくるんでしょうが…。
吉澤 専業で、というのは難しいですね。現在の茅葺屋根の棟数から考えると。何かの職業との兼業になるかと思いますね。ただ、今、価値観が多様化していますから、中に1人、2人と出てきてくれるのではないかと、期待しているところですが。
武田 これから、若い人が継いでいってくれると、本当にうれしいですよね。

屋根の葺き替えをした伊那市東春近の井上行さん宅

すべてリサイクルできる茅葺屋根
武田 今の茅葺屋根の現状は―。
吉澤 数から言うと増えることはないわけで、かなり減っています。職人さんが、技術も大事ですが、生業として成り立たないといけない。そうすると、ある程度まとまった数の棟数がないといけない。今、残っている茅葺屋根のお宅は、おそらく誇りを持って残しておられると思うので、そういった家の人たちに、少しでも早く応えられるような体制を取って、これ以上数を減らさないようにしていかなければならないと考えています。
武田 一般の民家の茅葺屋根というのは少なくなっているでしょうが、例えば、お寺などでは今もかなり需要はあるんでしょうか。
吉澤 お寺の本堂の茅葺というのも減ってはきています。やはりその茅葺に価値があると、住職さんや檀家の方々が考えているところでは積極的に残していこうとしていますね。そうすると、それに応えるだけの茅の量や職人を手配する、ということを続けていかなきゃいけない、と。
武田 お寺と民家では、技術は変わらないものですか。
北原 あまり変わりません。ただ、お寺の場合は「ほらを葺く」と言って、厚みだけを見せていく。実質的には民家のほうが厚いかもしれません。
武田 一度葺くと、どのぐらい持つものですか。
北原 昔は、囲炉裏(いろり)で火を焚(た)いたので、煙によって長持ちしました。だいたい一代―と言われましたね。だいたい30年から40年。今は煙を通さないので、20年ぐらいですね。
武田 囲炉裏というのも、大切な役割を果たしていた。
吉澤 そうですね。囲炉裏の燻蒸(くんじょう)によって虫がつかない、耐久性を伸ばすなど、いろんなことがあったと思いますね。それから、茅というのは屋根からおろすと畑の肥料に使うこともできる。全く廃棄物が出ないというものです。
武田 昔は『結い』と呼ばれるものがあって、共同で作業をされていましたね。
北原 まとまらないとできませんからね。そういうものも、昭和40年ごろからなくなってしまいました…。
吉澤 昔は、地元の人たちが普通にやっていたので、茅を集める―という仕事はなかった。それを新しく仕事として展開しなきゃならない、ということです。
武田 茅葺の景色、これは、とてもいいですよね。
吉澤 縄文の時代からずっと続いていますからね。茅というのは、屋根のボリュームがあるんですね。最近の住宅は、どちらかというと箱になったり、どちらかというと壁が強調されてしまいますが、茅葺というのは屋根の美しさ―。それで景観にもなじんでいたという良さがあるんだと思います。
武田 茅葺の家と、現代の高気密の家。比べると―。
吉澤 一番は夏の涼しさでしょうね。冬は寒いですが、囲炉裏があると暖かい―。

写真左:伊那市東春近の茅葺民家での作業。縄や針金で締めながら、茅を重ねていく

写真右:葺く作業の前に材料に使うための茅を選別

若い職人を育てたい
武田 吉澤さんが、こういうものを残そうと活動を始めたきっかけは…。
吉澤 文化財として見てきたわけですが、文化財は、いいな―と思ったものだけを見ていけばいいわけです。ですが、特にこの茅葺などは、技術がある職人さんと茅と民家の数がある程度なければならない。こうなると、数を減らさない、あるいは行政がある程度保存、確保することが必要になる。もっと積極的にいけば、新築の家を茅葺にするとか―。実際、ヨーロッパなどでは、新築の茅葺の集合住宅があるんです。長い目で見ていけば、日本でも、そういうものを考えてもらいたいな―という気持ちもあるんです。
武田 例えば、茅葺にする費用と、瓦屋根の費用は大きく違いますか。
吉澤 茅葺の方が今は割高です。ですが、瓦にしたから100年もつ、というのは誤解で、瓦屋根も傷みますから。茅葺も、補修を丹念にしていくと、一度にそんなに費用がかかるものではないと思います。
武田 ということは、これから茅葺の家を増やしていく、もしくは減らさないようにしていくためには、何が一番必要ですか。
吉澤 まず、我々のほうから、職人がいます―という情報を発信すること。それから、茅葺の実際の家をリスト化して、そこに情報を提供していくことだと思います。
武田 それと、職人の数。なんとか若い職人を増やしたいですね。日本人が何百年と造ってきた伝統的なものですからね―。


製作:伊那毎日新聞社 All Rights Reserved (C) 2005  制作協力:Fieldwork