| 武田 |
公共事業についての新しい視点があるということですが。 |
| 野口 |
公共性には2つの側面がある、という言い方があります。一つは国民益、国民にとって利益がある公共性。もう一つは国家益、国家にとって利益がある公共性。この2つがある面で対立するという側面が多く見られますね。例えば、ダムにしても国際空港、干拓にしても、国のプロジェクトとして組んでいるから、国際的な威信や、産業的な育成という面から見ればどうしても避けられないという意味での公共性ということはあります。それではその公共事業をやった結果、国民、県民にとってどれだけ利益があったかと考えた時に、必ずしも国家益が国民益につながらない、ということはあります。 |
| 武田 |
ありますね。 |
| 野口 |
例えば、ダムを造ったことによって災害の問題があったり、自然環境が破壊されたりと。これは県民益なのか、ということです。国家益と国民益の2つを指して公共性という言い方をするわけですが、本質的にはそこが問われているんじゃないかと思います。旧来、国民益的な言い方をしないで、公共性というと国家益を指し、お互い弁別をしながら理解しあうということをしなかった。ところが、最近、例えば田中知事などが、公共事業というのは果たして本当に我々のためになっているのか、というところを突き詰めて問うたのだと思いますね。今までの公共事業というのは、県民益なのか、国家益なのか。必ずしも県民益になっていないとすれば、県民益に沿った公共事業を、ということ。その一つに、ダムと森林との関係があります。 |
| 武田 |
具体的にはどのように考えていったらいいか、というと。 |
| 野口 |
今までの公共事業というのはどちらかといえば国家益的な方向でされてきている。ダムにしても治山工事にしても、5年、10年と経っていている段階で、事業を継続するのか、見直すのか、ということを公共事業評価監視委員会は問われているわけです。 |
| 武田 |
当然この監視委員会というのは以前からあったわけですよね。 |
| 野口 |
ありましたが、どういう機能を果たしていたのかな、と思うところがありますがね。県民益、国民益に沿った公共事業を考えるべきだという目で見てきた時に、費用対便益という考え方でいくと、便益とは誰のための便益かということになるわけです。例えば水源かん養について、国民全体に関係する場合もあれば、業者にとっての便益ということもある。また、費用でいえば、その中に人命が入っているのかどうか。もし、ここで工事をしたために人が亡くなったということがあった場合、いくらになるか、というと、それはカウントしていません、ということになるんですね。もう一度、県民益に沿った公共事業という目で見直すとすれば、今まで考えられなかったような新たな視点が必要、ということです。 |
| 武田 |
歴史的背景という視点でみれば、社会が変わっていても、すでに決まったことだからやりましょう、というケースが多いように感じます。例えば大芝高原の子ども未来センターの時も、田中知事が見直しを決める前に、もう決まっていることだから木を切ってしまうというような。 |
| 野口 |
農業を、増産という目標を持っていた時代に、干拓事業をやり始めた。ところがまだなかなか進まない、という時に、一方では減反という段階にきていると。まだそれでもやろうというような事業は多いですね。結局、歴史的とか社会的という状況は当然大きく変わっていくのに、公共事業は相変わらずそのまま継続している。いったん着手したものは予定が立っている、多くの人たちがかかわっているから、という別の論理で。そういうことが極めて大きな国家的な損失であり、しかも国民益、県民益につながらない。これはもう大転換しないと、これほどの無駄はないと思いますね。 |
| 武田 |
やめることをやる、というのは本当に難しいと思いますが、財政も厳しい中、思い切ってやめるという勇気を持たないと。 |
| 野口 |
もっと極端に言うと、米国では、ダムはいらない、むしろ害があるということでダムを壊す。そこまでして自然に戻していくということです。そこまでやって、将来に素晴らしい景観、環境を残していこうとするのか、目先の利益を追求して今から先、ほとんど必要ないようなものにまだ投資をするのか。これはものすごい落差です。 |
| 武田 |
ドイツやスイスなどでも、せっかく造った護岸を壊して、木を植えたりしているわけですから。我々もしっかり知って、おかしいことはおかしい、と言っていかないといけないですね。 |
| 野口 |
21世紀は環境の時代と言われますが、その時にまだ20世紀の公共事業からなかなか脱却できない。社会は、世界はすでに変わり始めているから、最後は国民が利口な判断がどこまでできるか、ということですね。国民が21世紀に見合った判断を持たないと、国政レベルも地方政治レベルもなかなか変わらない、ということでしょう。 |